まず初めに!今回の旅について
【ルート紹介】1ヶ月半で南米4ヶ国を巡る!”死ぬまでに見たい絶景”を追う女子ひとり旅_#0
前回のストーリーを読む!
【マチュピチュ】事前のチケット購入方法とマチュピチュ村⇄遺跡の行き方について_#06
【世界遺産】マチュピチュ遺跡
正式名称:マチュ・ピチュの歴史保護区
登録年 :1983年
遺産種別:複合遺産
この景色を一目見れば納得ですが、”空中都市” という言葉が本当によく似合う場所。
インカの人々によって15世紀に建設されたマチュピチュは、16世紀にスペイン軍に侵略されてインカ帝国が滅びた後、1911年に再発見されるまでこの地に密かに佇み続けました。
第一発見者は、PERU RAILの列車名にもなったアメリカの探検家ハイラム・ビンガム。
彼は映画「インディー・ジョーンズ」のモデルでもあり、長きに渡り ”失われた都市” を探し続け、道中で出会った地元民に連れられてここに辿り着いたとか。
発見時に撮影された写真はWeb検索すれば出てきますが、そこに写るのは完全に時が止まったマチュピチュと正面にそびえるワイナピチュ。
標高約2,400mの山奥に存在したからこそ、スペイン軍に破壊されることなくその姿を残すことができたといわれています。
施設情報
時間/ 料金:↑クリック>QUERIES>EXPERIENCES
マチュピチュのベストシーズンは?
ベストシーズン:5月〜9月
オンシーズン :4月〜10月
今回の旅(2018年4月)= オンシーズン!
<4月のマチュピチュ>
平均最高気温:21℃
平均最低気温:6℃
降水量:約40mm
<4月の東京>
平均最高気温:19℃
平均最低気温:9℃
降水量:約130mm
✔︎ 混雑を避けるならば狙い目は午後!
言うまでもなく連日多くの人々で賑わう人気の世界遺産マチュピチュ。
地球の反対側まで遥々訪れるならば、心ゆくまでゆっくりと遺跡を堪能したい!と思いつつ、ある程度の混雑は覚悟して向かったわけですが、実際は想像以上に人が少なく拍子抜けでした。
訪れたのは4月中旬、雨季明けの午後。
狙ったわけではないですが、どうやらこの選択は良かった気がします。
その理由は、
①数百人単位のワイナピチュ登山客
→ワイナピチュは早朝にのみ解放され、登山後にはマチュピチュ巡りをする
②クスコからの日帰りツアー参加客
→クスコへ戻る最終列車が14〜15時頃発のため、午前中に遺跡を訪れる
要するに、午前中のマチュピチュは混雑する傾向にあり、14時を過ぎてしまえば団体客が減るのでかなり静かになります。
また、マチュピチュのベストシーズンは乾季の5〜9月で、1〜3月は雨季真っ只中で連日雨が降り、観光には向かない時期。
となると、”4月の午後” は穴場となるのです!
高台の見張り小屋は最高の撮影スポット!
エントランスを抜けて指定された順序で進むと、まず辿り着くビューポイントは高台の見張り小屋(House of the Guardian)
当時は、敵の侵入を見張る役人がこの小屋に常駐していたそう。
見晴らしがよくて ”遺跡を一望できる” ので、現在はマチュピチュを綺麗に収められる撮影スポットになっています。
ウルバンバ川が流れる ”聖なる谷”
雲の流れが早く、太陽が出たり隠れたりと刻々と変化する山の天気。
雲間から差し込む光が深い緑の山肌に当たると、どこか神々しささえ感じられます。
リャマが見下ろす先に流れるのはウルバンバ川。
この川を上流へ上るとたどり着くのは、クスコから訪れる際に通過するオリャンタイタンボやマラス塩田近辺の町ウルバンバ。
クスコ・マチュピチュ近郊のウルバンバ川が流れる渓谷(ウルバンバ谷)は ”聖なる谷” とも呼ばれ、インカ帝国時代に築かれた要塞や重要な建築物が散らばっています。
不思議な響きを持つ「ケチュア語」
ウルバンバ。
オリャンタイタンボ。
マチュピチュにワイナピチュ。
クスコ辺りからよく耳にするようになる不思議な響きのこの言葉は、「ケチュア語」と呼ばれるインカ帝国の公用語。(現在も、ペルー・ボリビアでは公用語のひとつ)
・バンバ=谷
・タンボ=籠
・マチュピチュ=老いた峰
・ワイナピチュ=若い峰
そういえば、クスコのコレクティーボ乗り場で「オリャンタイ!オリャンタイ!」とひたすら連呼するおじさんがいたことを思い出しました。
「そこで区切る?」と内心では不思議でしたが、今思えば納得です。
石を切り出す採石場
アンデス文明の中で最も栄えたとされるインカ帝国時代の文明は ”インカ文明” と呼ばれ、高度な石造建築技術があったことで知られています。
首都クスコにある12角の石が有名ですが、”カミソリ1枚通らない!” のキャッチフレーズが付けられるほどに精巧なもの。
マチュピチュにもその技術が用いられ、建設に必要な石はこの採石場から切り出されていたそう。現在も巨大な岩(花崗岩)がゴロゴロと放置されています。
ちなみに「ここまでどうやって石を運んだのか?」という疑問が湧きますが、実は太古の地殻変動によって断層ができ、この辺りには最初から花崗岩があったそう。
わざわざ麓から運んできたわけではなく、元々素材があった場所を選んでマチュピチュを築いたということになります。
段々畑で山の斜面を有効利用
整然とした石造りの段々畑(Andenes)も、マチュピチュの見どころのひとつ。
段々畑にすることで、山の斜面の有効利用はもちろん、太陽の当たる面積も拡大でき、また石造りにすることで水はけも改善されるので、元々は農業に適さないこの土地での耕作が可能となりました。
石段は高さによって気温が異なる(上段に向かって気温が下がる)ので、その性質を利用して種類の異なる作物を育てていたそう。
ちなみに、”聖なる谷”(ウルバンバ谷)周辺では、現在でもこの方法で耕作が行われています。
マチュピチュの住人!?リャマ
アンデスの動物として有名なリャマとアルパカ。
親戚のようなものなので外見がよく似ていますが、リャマの方がひと回り大きく、警戒心があまりないので人に懐く性格。
アルパカはより高地に生息し、毛質が良質。クスコやマチュピチュ周辺ではアルパカの毛を使用したセーターなどの衣類が至る場所で販売されています。
遺跡には数十匹のリャマが住み着いており、自由気ままに行ったり来たり。すぐ近くまで寄ってきますが、無理に触ったり危害を与えなければ大丈夫。
さすがは人に懐く性格なので、観光客にも動じずに小慣れたポージングさえ見せてくれます。
文字を持たなかったアンデス文明
「太陽の神に少しでも近付ける場所に」とか、
「スペイン軍からの侵略を防ぐために」とか。
インカ帝国時代の首都クスコから遠く離れた山奥にマチュピチュが築かれた理由は諸説ありますが、アンデス文明は文字を持たなかったため、今もなお多くの謎に包まれています。
景観の美しさやユニークな場所に存在することなどマチュピチュの魅力は多々ありますが、「謎に包まれていること」もまた魅力のひとつです。
アンデス文明は高度な技術を持つ文明だったようですが、文字を書くという文化が生まれなかったことはなかなか不思議なもの。
ただ、正確には ”キープ” と呼ばれる「ロープに結び目を作ることで数を記録する」文化は存在しており、その結び目をより複雑化させることでメッセージとして使用していたともいわれています。
それにしても、文字を書いた方がより簡単により自由に情報を伝えられたはず。多くを語らないように、意図して文字を持たなかったなんてこともあるのでしょうか?
マチュピチュ、Done ✔︎
「行きたい場所リスト」を更新。
天候を考慮して予備日を設けていましたが、その心配は無用でした。
360°ストリートビュー:マチュピチュ
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