【ルクソール東岸】新王国時代に繁栄した古都!日が昇る”生者の世界”で神々を祀る神殿を巡る_#86

 

【移動】アスワン → ルクソール

アスワン(Aswan)
 アスワン駅

  ↓  エジプト鉄道(3時間/$25)

ルクソール(Luxor)
 ルクソール駅

  ↓  徒歩(約10分)

 Nefertiti Hotel Luxor(宿泊先)


NOTE
・宿泊先は「Booking.com」にて予約

アスワン駅で鉄道チケットを購入

アスワン駅

「外国人にはチケットを売ってくれない」「とりあえず乗車してからチケットは購入すれば良い」など、乗車は一筋縄ではいかないという断片的な情報のみ得ていたエジプトの鉄道事情ですが、実際のところ事情はかなり変わっていました。

アスワン駅には手作り感溢れる外国人専用窓口ができており、駅構内に入ると駅員に誘導されてスムーズにチケットを購入できるようになっています。

2022年12月より外国人旅行者の運賃が設定されており、支払いはUSDのみ。(クレジット利用可)

例えばアスワン ⇄ ルクソール区間であれば、エジプト人はFirst classであっても約150E£($3)で乗車できるので、外国人はかなり高い運賃を支払うことになります。

観光スポットの入場料などにも別料金は設定されており、こちらは10倍近く差があることもざら。受けるサービスは全く同じなのでただ割高なだけですが、 ”観光客価格” を設定することは他の国でもあるのでエジプト特有のものではありません。

ただ、国が運営する国鉄までこんなことをしてくれるとは!「ちょっと値引きして?」と食い下がってみましたが、しっかり定価で購入させられました。

Second classを購入しましたが、思いのほか綺麗な列車で快適でした。

列車の時刻はEgyptian National Railways(公式HP)で検索可能。ルクソール行きは1時間に1本ほど走っており、車内も比較的空いていたので、(時期にもよるので一概には言えないですが)満席で乗れないという心配はあまりいらないようです。

ルクソールまでは約3時間。16:00発の列車に乗り、ほぼ定刻発車で19:00にはルクソールに到着。

ルクソール駅

ルクソールのベストシーズンは?

Best!:12〜2月
Good:11〜3月

気候の詳細をチェック

今回の旅(2023年10月)= オフシーズン

<ざっくりと言えば...>
日差しがジリジリと暑い時期!
屋外観光には水と帽子が必須ですが、湿度は低いので日陰に入れば比較的過ごしやすい気候です。

<10月のルクソール>
  平均最高気温:35℃
  平均最低気温:18℃
  降水量:約1mm

<10月の東京>
  平均最高気温:22℃
  平均最低気温:14℃
  降水量:約160mm

ルクソール

ルクソールの風物詩は、西岸の空を彩る早朝の熱気球。

新王国時代に首都(テーベ)として栄えたことから、世界遺産に登録される遺跡が多く残る街です。

世界遺産情報

正式名称:古代都市テーベとその墓地遺跡
登録年/種別:1979年/文化遺産

太陽崇拝が行われていた古代エジプトでは、ナイル川を挟んで日が昇る東岸は ”生者の世界”、日が沈む西岸は ”死者の世界” と考えられていました。

そのため、東岸には ”生” を象徴する神殿などが、西岸には ”死” を象徴するファラオたちが眠る墓や葬祭殿などが存在します。

ちなみに、ルクソールの西岸にはピラミッドのような形をしたエル・クルン(El Qurn)と呼ばれる山があることが墓所として好まれた理由ともいわれています。

【世界遺産】カルナック神殿

古代エジプトにおける最大級の神殿。

中王国時代に建設され、新王国時代になると歴代の王が神殿・オベリスク・神像などを寄進して増改築を重ねた結果、巨大な神殿複合体となりました。

敷地内に存在する複数の神殿の中で中心となるのはアメン大神殿で、その名の通り ”太陽神” アメンを祀る神殿。

太陽神といえば ”太陽神” ラーの存在が有名ですが、ラーは元々、古王国時代から栄えていたエリアであるヘリオポリス(カイロ近郊)を中心に信仰された神。

対して、アメンはテーベで信仰されていた地方神に過ぎなかったのですが、首都がテーベに移されて政治の中心地になると次第に存在感を増し、やがてはラーを取り込む形で習合し、 ”太陽神” アメン・ラーとして崇拝されるようになります。

アメン大神殿の前庭

スフィンクス参道

大神殿の入口では、神殿を守るように並べられたスフィンクスがお出迎え。

スフィンクスとは人間の顔とライオンの体を持つ神聖な存在であり、ギザの大スフィンクスが最も有名なものとして知られています。

しかしながら、スフィンクスにも実に様々な種類が存在し、この神殿に置かれているものも人間ではなく雄羊の頭部をもつスフィンクス。その理由は、雄羊がアメンの聖獣であったからとされています。

前庭

大神殿の前庭に置かれたアメン大司祭「パネジェム1世」の巨像。

新王国時代が終焉すると王朝は弱体化してエジプト全土を支配できなくなり、下エジプト(現在のカイロ〜アレクサンドリアあたり)のタニスに都を置くことになります。

逆に、王朝と対立していたアメン大司祭国家が勢力を増して、大神殿を中心に上エジプト(現在のアスワン〜カイロあたり)を支配しました。

アメン大司祭とは国家の統治者で、これほどの巨像を残したことからもわかるように、ファラオの如く振る舞ったことで知られています。

大列柱室

大神殿の最大の見どころは、134本の巨大な柱が並ぶ圧巻の列柱室。

第19王朝のファラオ「セティ1世」が着工し、完成させたのは次期ファラオ「ラメセス2世」とされています。

中央通路沿いの12本(高さ21m)は開花したパピルスを、残りの122本(高さ15m)は未開花(つぼみ状)のパピルスをイメージして作られており、この列柱室は ”天地創造の大地(原初の丘)に浮かぶパピルスの湿原” を表現しているそう。

MEMO

パピルス(papyrus)とは?
→カミガヤツリ(パピルス草)と呼ばれる高さ約2〜3mの水草で、茎の断面が三角形であることが特徴。その茎部分を薄く伸ばし、並べて乾かすことで紙状にしたパピルスは古代エジプトの発明品かつ ”世界最古の紙” でもあり、紙を意味する「paper」の語源になったとされる。

人間と比べるとその大きさがよくわかる石柱ですが、1つの石から削り出したものではなく輪切りの石を積み上げているので、よく見るとその繋ぎ目が確認できます。

また、柱に刻まれたレリーフやヒエログリフ(古代エジプトの象形文字)は建設当時には極彩色で彩られていたとされ、現在も一部にその面影が見られます。

オベリスク

第18王朝のファラオ「トトメス1世」(左)とその娘である「ハトシェプスト」(右)のオベリスク。

オベリスクとは針状の石造記念碑で、太陽神に捧げるために建てられたもの。

側面には王の名などがヒエログリフで刻まれており、また、ピラミッド状の先端には当時、金や銅が装飾されており、太陽光の反射で輝いていました。

至聖所(聖舟祠堂)

至聖所(しせいじょ)とは神殿の一番奥にあり、神像を安置するための最も神聖な場所。

第18王朝のファラオ「トトメス3世」によって建てられた至聖所があったエリアに、プトレマイオス王朝(マケドニア朝)のファラオ「フィリッポス3世」が聖舟祠堂(せいしゅうしどう)を増設しました。

そこに設置されていたアメンの聖舟を安置する台座が現在も残されています。

至聖所から見た列柱室

ハトシェプストの礼拝堂

至聖所の隣にある第18王朝のファラオ「ハトシェプスト」の礼拝所。

壁面にはレリーフが見られますが、ハトシェプストを描いたものは驚くほど露骨に削り取られています。また、削られた人型の左上にある名前を刻んだカルトゥーシュも、太陽神 ”アメン” の文字のみを残して消されている始末。

MEMO

カルトゥーシュ(cartouche)とは?
→古代エジプトで使用されたヒエログリフの記号の1つで、ファラオの名前を囲む曲線。

これは、ハトシェプストの子である第18王朝のファラオ「トトメス3世」によって行われたものと考えられています。

ハトシェプストの夫であるトトメス2世は遺言でトトメス3世を後継者に指定しましたが、当時まだ幼かったトトメス3世に代わり、ハトシェプストは摂政として政治を執り行いつつ、自らをファラオと名乗りました。

ハトシェプストの死後にはトトメス3世が単独で統治することになりますが、実はトトメス3世はトトメス2世の庶子。ハトシェプストとの血の繋がりがなかったため、自身の王位継承の正当性を強調するためにハトシェプストの功績を削除したと考えられています。

聖なる池

神殿の水源であり、神官が儀式前などに身を清める場所としても使われた聖なる池。

神殿とは、 ”神の住まう家” で神を祀り儀式を行う場所とされており、その代わりに神は国土の安定と秩序の維持を約束するものと考えられていました。

主要な儀式はファラオが執り行うことになっていたものの、実際は神官が代理で行っており、また神官には厳密な階級があり、首長である大司祭のみがファラオの代理として神殿に安置される神像に接することができたそう。

それ以外にも、神が必要なものを用意するための日々の儀式が毎朝晩に行われており、その際にもまずは聖なる池で全身を清める必要がありました。

施設情報

2023年10月時点の情報
※頻繁に値上がるので参考程度に

移動方法

 Nefertiti Hotel Luxor(宿泊先)

  ↓  徒歩(約40分/2.5km)

 カルナック神殿(チケット売場) 入場料 300E£)

NOTE
・10:00頃(月曜)に訪問:大混雑 (午後になるとツアー客が減って混雑緩和
・チケット売場で声をかけられ、英語ガイドを依頼(約1時間/150E£)

  360°ストリートビュー:カルナック神殿

【世界遺産】ルクソール神殿

神殿入口で出迎えるのは、第19王朝のファラオ「ラメセス2世」の6体の巨像と1本のオベリスク。

ラメセス2世は多くの業績と建造物を残した ”古代エジプト史上最も偉大な王” であり、また、各地に自身の巨像を残したことから、自己顕示欲が強かったことでも知られる人物。

また、オベリスクはかつて2本立っていましたが、右側のオベリスクは1836年に当時のエジプト国王からフランスへ贈られたため、現在はパリのコンコルド広場にあります。

カルナック神殿(アメン大神殿)の付属神殿という位置付けであるルクソール神殿。この2つは約2kmも離れた場所に位置しますが、スフィンクスが両側に並べられたスフィンクス参道で繋がっています。

また、ルクソール神殿は新王国時代以降に始まったとされるオペト祭のために建設された神殿です。

ナイル川の氾濫期(アケト)に行われた祭礼で、カルナック神殿に安置されているテーベ三柱神(アメン、妻のムト、息子のコンス)の神像を聖舟(せいしゅう)でルクソール神殿へ運び、ファラオによる儀式が行われるというもの。

神像を運ぶ行列とともに歌や踊りが繰り広げられ、庶民にもご馳走が振る舞われる盛大な祭りであったため、人々はオペト祭を毎年楽しみにしていたそうです。

Seasons in Ancient Egypt

氾濫期(7〜10月頃)=アケト(Akhet)
種蒔き期(11〜2月頃)=ペレト(Peret)
収穫期(3〜6月頃)=シュムウ(Shemu)

ナイル川の増水サイクルに合わせて、上の通りに1年を3つの季節に分けて農業を行なった古代エジプト。

元々降雨の少ない地域ですが、川の氾濫によって肥沃な土が運ばれることで農作物を育てることができたため、アケトは必要不可欠な季節。自然災害ではなく、 ”ナイル川の神” ハピがもたらす恵みと捉えてハピの到来と呼んだそうです。

神殿内には、2人のハピがロータス(上エジプトの象徴)パピルス(下エジプトの象徴)を結び合わせる様子を描いたレリーフが見られます。

ナイル川上流(アスワン〜カイロあたり)の上エジプトと、下流(カイロ〜アレクサンドリアあたり)の下エジプトの2つの国家に分かれていた先王朝時代のエジプト。紀元前3100年頃にこの2つが統一されてエジプト王朝が成立し、古代エジプトの歴史は始まりました。

このことから、ナイル川の神が上下エジプトの象徴を結ぶ様子は、上下エジプト統一を表現しています。

大列柱廊〜列柱室

大列柱廊

開花したパピルスをイメージした柱が並ぶ大列柱廊は、付属神殿でありながらもカルナック神殿に引けを取らないスケール。

ルクソール神殿の中心部分は、第18王朝のファラオ「アメンホテプ3世」によって建設された後、ラメセス2世によって増築されました。

新王国時代は最大の領土と経済力を有した ”古代エジプトの最盛期” と称された時代で、中でもアメンホテプ3世が統治した頃はまさにその絶頂期であったため、年に一度のオペト祭のためにこれほど巨大な神殿を建設できました。

また彼は、言わずと知れた少年王「ツタンカーメン」の祖父にあたる人物。この大列柱廊もアメンホテプ3世が建設し、ツタンカーメンが装飾を施して完成させたと考えられています。

列柱室

大列柱廊を抜けた先には中庭があり、そこを囲むように未開花(つぼみ状)のパピルスをイメージした柱が並ぶ列柱室。

完全に日が落ちてあたりが暗くなると、ライトアップされたパピルス柱が暗闇に浮かび上がり、幻想的な光景が広がります。

誕生の間〜聖舟祠堂

誕生の間

アメンホテプ3世の誕生、将来にファラオとなる場面などを描いたレリーフが施された誕生の間では、ファラオによるオペト祭の儀式が行われました。

オペト祭には、アケト(氾濫期)後の収穫の豊穣を願う目的もありましたが、ファラオの権力を正当化するためにも重要なものであったそうです。

ファラオは現人神(あらひとがみ)とされており、 ”天空の神” ホルスの化身、 ”太陽神” ラーの息子など、人々の信仰の変化とともに柔軟に立ち位置を変えましたが、いずれにおいても重要なのは ”ファラオは神と人々を繋ぐ唯一の存在” ということ。

儀式を行うことでファラオは神との絆を新たにし、また、神の血を受け継いでいることを人々に再認識させる目的があったと考えられています。

聖舟祠堂

聖舟祠堂(せいしゅうしどう)は、カルナック神殿から運ばれる聖舟を置くための場所。

元々は、アメンホテプ3世が建設した至聖所に、プトレマイオス王朝時代(マケドニア朝)のファラオ「アレクサンドロス3世」が聖舟祠堂を増設しました。

エジプトを征服した古代マケドニアの王であるアレクサンドロス3世は、エジプトの文化や伝統を尊重したため、正当な古代エジプトのファラオとして迎えられた人物。

また、プトレマイオス王朝時代の首都アレクサンドリアは、彼の名にちなんで付けられたとされています。

聖舟祠堂周辺の壁面には、オペト祭の様子を描いたレリーフが見られます。

まさに、神官たちが神像を乗せた聖舟を肩に担いで運ぶ姿が描かれていますが、その光景はまるで今日の日本の祭りでも見られる神輿(みこし)のよう。

施設情報

2023年10月時点の情報
※頻繁に値上がるので参考程度に

移動方法

 Nefertiti Hotel Luxor(宿泊先)

  ↓  徒歩(約5分)

 ルクソール神殿(チケット売場) 入場料 260E£)

NOTE
・17:00頃(月曜)に訪問:大混雑 (19:00頃にはツアー客が減って混雑緩和 、ただし営業時間は20:00までなので注意)

  360°ストリートビュー:ルクソール神殿


スフィンクス参道

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-エジプト

   2024/11/02  

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