まず初めに!今回の旅(日本 → ソウル)について
【ソウル】明洞(ミョンドン)を拠点に街歩き!約500年間続いた李氏朝鮮の歴史に触れる_#82
ソウルのベストシーズンは?
Best!:4月〜6月、9月〜10月
Good:4月〜6月、9月〜11月
今回の旅(2023年7月)= オフシーズン(夏)
<ざっくりと言えば...>
とにかく蒸し暑い!7月は梅雨による雨の心配もあるので、屋外観光はおすすめできません。
<7月のソウル>
平均最高気温:29℃
平均最低気温:22℃
降水量:約330mm
<7月の東京>
平均最高気温:30℃
平均最低気温:22℃
降水量:約160mm
非武装地帯(DMZ)
非武装地帯は、2019〜2020年に放映された大ヒット韓国ドラマ「愛の不時着」の舞台にもなった場所。
韓国の財閥令嬢である主人公がパラグライダー中に突然の竜巻に巻き込まれ、軍事境界線を越えて北朝鮮の非武装地帯に ”不時着” するところから物語は始まります。
非武装地帯(DMZ)とは?
→停戦状態にある国家や軍事勢力の間で、衝突を防ぐために条約や協定などに基づいて設定される ”軍事活動が許されない地域” のこと。DMZ=Demilitarized Zoneの略称。
DMZの多くは、事実上の国境である軍事境界線の周辺に設けられます。
朝鮮戦争の休戦協定(1953年)に基づいて設定された朝鮮半島におけるDMZも、北緯38度付近の軍事境界線から南北に各2kmの地帯にあります。
DMZの韓国側の境界線(軍事境界線から南に2km下がったライン)は南方限界線(SLL)と呼ばれ、写真からも確認できる通り、道路には ”水色の線” が実際に引かれています。(北朝鮮側には北方限界線(NLL)があります。)
さらに韓国では、SLLから約5〜10kmまでの地帯を民間人統制区域に設定しており、民間人の立ち入りを厳しく規制しています。
DMZの目前にあるのは国境検問所。(韓国と北朝鮮の間にあるのは軍事境界線なので、正確には国境ではありません)
現在はもちろん封鎖中ですが、検問所を通過して先へ進めばそこはもう北朝鮮。すぐそこに未知の国があることを肌で感じられます。
ちなみに、韓国は言わずもがな、日本も現時点で北朝鮮を ”国” として認めていません。
その理由は日本政府が1965年に韓国と締結した条約で、韓国を ”朝鮮にある唯一の合法的な政府” と認めているため。この条約を改訂しない限り、そもそも日本は北朝鮮を国家として承認できないのです。
このように、DMZ周辺は民間人が気軽に立ち入りできる場所ではないため、訪れるためにはツアーへの参加が必須となります。
ソウル発の現地ツアーに参加
ソウル(Soul)
6:00発
明洞(地下鉄駅)
↓ (約1時間/40km)
DMZ周辺
① 統一大橋(検問所) ※パスポートチェック
↓
② 臨津閣公園
↓
③ 自由の橋
↓
④ 都羅展望台
↓
⑤ 第3トンネル
↓
⑥ 都羅山駅 ※2023年7月現在閉鎖中
↓
⑦ 統一村
↓ (約1時間/40km)
ソウル(Soul)
13:30着
明洞(地下鉄駅)
NOTE
・現地ツアー専門サイト(VELTRA)でWEB予約
・ツアーの開催は火曜〜日曜(月曜は休み)
・検問所通過時にはパスポート必須
① 統一大橋(検問所)
統一大橋は、臨津江(イムジンガン)に架かる橋。
ソウル駅前〜南北出入事務所(JSA内)を結ぶ道路である統一路(トンイルロ)上にあります。
橋の北側は民間人統制区域に設定されており、南側に設置された検問所で許可を受けた者以外は通行できません。
DMZツアーにおいても検問所では韓国軍がバスに乗り込み、参加者のパスポートチェックが行われます。
民間人統制区域とは?
→非武装地帯(DMZ)の韓国側の境界線である「南方限界線(SLL)」以南、約5〜10kmに設定される民間人の立ち入りを規制する緩衝地帯。
② 臨津閣(イムジンガク)公園
坡州(パジュ)市の最北にある平和公園。
軍事境界線から約7km地点の ”南北分断の象徴” としてのイメージが強い土地に、平和の大切さと統一の重要性を知ってもらうために建設されました。
民間人統制区域よりも南に位置するこの公園は立ち入りが自由な地域なので、 ”自力で行ける北朝鮮に最も近い場所” として知られています。
平和の鐘閣
2000年に建設された鐘閣で、この鐘は戦争で使われた銃やヘルメットなどを溶かして造られたもの。
毎年大晦日には、平和を祈る ”除夜の鐘つき” が行なわれます。
蒸気機関車
朝鮮戦争時(1950年)に爆撃を受けた蒸気機関車。
現在の鉄道路線「京義線(キョンイソン)」はソウル駅〜都羅山(トラサン)駅を結びますが、かつては北朝鮮まで繋がっており、軍事境界線付近に長湍(チャンダン)駅が存在しました。
この機関車は当駅で爆撃を受けて以来、半世紀以上も放置されたままでしたが、2005年に臨津閣へと移されて公園内に展示されるようになりました。
南北分断前の京義線は、現在のソウルである京城(キョンソン)〜北朝鮮と中国の国境沿いの町である新義州(シニジュ)を結ぶ路線でした。
機関車の展示近くには、実際に使用されていた線路に ”京義線の駅名を刻んだプレート” が置かれています。
望拝壇(マンベダン)
南北分断により離れ離れになった離散家族や、朝鮮戦争時に北朝鮮から韓国へ避難して故郷に戻れなくなった失郷民の祈りの場。
毎年、旧正月や秋夕(旧暦の8月15日)などの名節には祭祀が行なわれます。
臨津閣平和ゴンドラ(DMZゴンドラ)
2020年に開通したゴンドラで、臨津江(イムジンガン)を渡った対岸の停留所は民間人統制区域にあたり、展望台から周辺の景色を楽しめます。
民間人統制区域とは?
→非武装地帯(DMZ)の韓国側の境界線である「南方限界線(SLL)」以南、約5〜10kmに設定される民間人の立ち入りを規制する緩衝地帯。
ゴンドラ乗り場がある臨津閣公園は立ち入り自由なエリアですが、ツアーの目玉である「都羅展望台(トラチョンマンデ)」や「第3トンネル」があるのは規制エリア内。
そのため、これらのスポットには入場制限がある上に入場時間も決められており、臨津閣公園内の販売所でチケットを入手する必要があります。
ツアーガイドが手配してくれるので心配ないですが、事前販売は行われていないため、当日ここに到着してチケットを入手しない限り、ツアーのタイムテーブルは確定しません。
タイムテーブル次第で臨津閣公園の滞在時間は変わるのですが、今回は十分な滞在時間がなかったためDMZゴンドラには乗れず、次の目的地へ。
③ 自由の橋
朝鮮戦争の休戦協定(1953年)後、韓国軍の捕虜が北朝鮮から帰還する際に使用され、この橋を渡り、自由の身となって韓国に戻ってきたことから ”自由の橋” と命名されました。
橋の突き当たりにあるフェンスには、南北統一への思いや北朝鮮の人々へのメッセージなどが書かれた平和のリボンが数えきれないほど結ばれています。
橋の入り口に置かれているのは韓国軍兵士の人形。
2000年に公開されて韓国で大ヒットした映画「JSA」を彷彿とさせるもので、映画には若かりし日のイ・ビョンホンが出演しており、この人形と同じ軍服を着用しています。
手前に映る自由の橋と、臨津江(イムジンガン)に架かる鉄橋。
この鉄橋には、ソウル駅〜都羅山(トラサン)駅を結ぶ鉄道路線「京義線(キョンイソン)」が走っており、橋の先には都羅山駅(終点)がありますが、2023年7月現在で当駅は封鎖されているので列車は走っていません。
また、鉄橋の右側にはかつてもうひとつ鉄橋があり京義線のレールが敷かれていましたが、朝鮮戦争時に爆撃を受けたため現在は橋脚のみが残っています。
④ 都羅展望台(トラチョンマンデ)
DMZの韓国側の境界線である南方限界線(SLL)上にある展望台。
天気が悪くなければ、JSAとして知られる板門店(パンムンジョム)や北朝鮮の開城(ケソン)の街並みを肉眼で捉えられ、さらに展望台に複数設置されている望遠鏡を覗くと、北朝鮮を手に取るように近くで見られます。
開城とは?
→北朝鮮南部にある都市で、高麗人参の産地としても有名。高麗時代(918〜1392年)に約500年、王都として栄え、朝鮮王朝時代になり王都が漢陽(ハニャン=現在のソウル)へ遷された後も重要な商業都市として発展した。
展望台からの景色がこちら。
写真右下に映る道沿いには鉄条網が続き、数百m間隔に監視所(小屋)が設置されていることがわかりますが、ここまでが韓国側の領域。
そして、鉄条網の左側に広がる緑の生い茂る一帯がDMZで、その先に見えるのが北朝鮮です。
おびただしい数の地雷が埋められているDMZは、軍事活動はもちろん開発事業も禁じられており人の立ち入りが極端に少ない場所。
そのことから手付かずの状態で育った自然には、絶滅危惧種を含む数千種の動植物が生息しており、 ”野生生物の宝庫” と化しているのです。
白い建物が立ち並ぶ一帯は、開城の中心地。
開城は高麗時代に王都として栄えた街なので歴史的建造物も残されており、正式名称「開城の歴史的建造物と遺跡」として世界遺産に登録されています。
JSA/板門店(パンムンジョム)
2000年に公開されて韓国で大ヒットした映画「JSA」
イ・ヨンエ(チャングムの誓い)、ソン・ガンホ(パラサイト)、イ・ビョンホンなどの名だたる俳優が出演していたこの映画の舞台は、JSA=板門店。
許されることのない南北兵士の交流とそこから発生する衝突を描いたサスペンス映画で、フィクションではあるもののJSAの風景が忠実に再現された興味深い作品です。
板門店(JSA)とは?
→軍事境界線上にある共同警備区域。この区域では、韓国軍やアメリカ軍を中心とした「国連軍」と「朝鮮人民軍」が共同で警備を行っている。JSA=Joint Security Areaの略称。
JSAには、韓国側に「自由の家(連絡事務所)」と「平和の家(会議場)」が、北朝鮮側に「板門閣(連絡事務所)」と「統一閣(会議場)」がそれぞれ設置されています。
そして、敷地の中央に配置される ”水色の建物” がJSAの代名詞。
この水色の建物は「軍事停戦委員会 本会議場」と呼ばれ、朝鮮戦争の停戦協定(1953年)の調印が行われた場所。
軍事境界線をまたぐように建てられており、建物外では ”境界線を示すために置かれたブロック” を隔てて、双方の軍が警備を行います。
以前に板門店で開催された米朝首脳会談では、ドナルド・トランプと金正恩がまさにこの場所で面会し、境界線(ブロック)を越えて韓国から北朝鮮へ入国する姿が世界中に発信されました。
実はこの本会議場はツアーで訪れることができ、場内で軍事境界線を越えることは認められているため、”事実上、北朝鮮に足を踏み入れることができる場所” なのです。
ただし、政治情勢次第では催行が中止されたり、催行されても人数制限があるため、いつでも簡単に参加できるものではありません。
宣伝村(北朝鮮側)
DMZは基本的に立ち入りができないエリアとされていますが、朝鮮戦争の停戦協定(1953年)により、実は南北ともに1ヶ所だけ村を残せることになっています。
その協定によって北朝鮮側のDMZに残されたのは機井洞(キジョンドン)で、北朝鮮では ”平和村” 、韓国では ”宣伝村” と呼ばれます。
機井洞は約200世帯が住む模範的な集団農場の村。
保育所・学校・病院を完備しており、数階建てのコンクリート製アパートが並び、夜には電気もつきますが、韓国側から望遠鏡で覗いてみると、建物には窓も内装もなく電気は一斉について一斉に消えるそう。
機井洞は、1950年代に南に対するプロパガンダ(北の農村政策は順調に進んでいると宣伝して南からの亡命を促進する)のために作られたと韓国側は主張しており、これが ”宣伝村” と呼ばれる理由です。
また機井洞には、北朝鮮国旗を掲げる160mの掲揚塔があります。(写真に映る高い塔が北朝鮮の掲揚塔)
自由の村(韓国側)
韓国側のDMZに残された村である台城洞(テソンドン)は、JSA(板門店)から約500mの位置にあり、 ”自由の村” と呼ばれます。
台城洞では ”停戦当時の住民の直系子孫のみ” が居住を許され、住民のほとんどが農業を営み、また韓国人の義務である納税と徴兵が免除されるため、韓国の平均的な農家より所得が高いといわれています。
ただし、土地の所有権はありません。耕作権は認められているため、その権利譲渡は可能。
不審者侵入などの警戒から軍による村人の点呼も頻繁に行われ、夜間(0時から5時まで)の外出禁止、農作業時にも活動時間を軍に事前申告する必要があるなど、村での生活には様々な制約が存在します。
また台城洞には、韓国国旗を掲揚する98.4mの掲揚塔があります。(写真に映るのが台城洞の掲揚塔)
機井洞にも同じく掲揚塔がありますが、実は最初に建てたのは台城洞。それに北朝鮮はすぐさま反応し、世界一の高さ(当時)の掲揚塔を建てたそう。
⑤ 第3トンネル
DMZ付近には、北朝鮮が韓国に攻め入るために掘ったとされる ”南侵トンネル” が4つ存在します。
・第1トンネル(1974年に京畿道漣川郡で発見)
・第2トンネル(1975年に江原道鉄原郡で発見)
・第3トンネル(1978年に京畿道坡州市で発見)
・第4トンネル(1990年に江原郡楊口郡で発見)
第3トンネルは地下73mに掘られ、幅2m、高さ2m、全長約1.6km。トンネルの南側(韓国側)の出口は3ヶ所に分かれており、兵士が1時間に3万人移動できる規模とされています。
また、軍事境界線に最も近付くことができるかつ観光地化もされていることから、多くの観光客が訪れるスポット。
ちなみにトンネル内の撮影は禁止。荷物はすべて入口に設置されたロッカーに預ける必要があります。
地下73m地点まで続くスロープを一気に下り、狭いトンネルを250mほど進んだ先にあるのは行手を阻む壁。その一部にはクリアガラスが貼られており、トンネルの先を覗くことができる仕組みになっています。
ここから軍事境界線まではわずか170m!なのですが、境界線はもちろん目に見えないので、トンネルの先が見えるだけ。
ちなみに、このトンネルの難所は入口から地下73mまで続くスロープ。とにかく急勾配で、最後に待ち構える上り坂はなかなか過酷なので、歩きやすい靴で挑むことをおすすめします。
朝鮮戦争中に双方の軍によって多くの地雷が埋められた結果、DMZ周辺には現在もなお数百万個の地雷があると推測されています。
第3トンネルや都羅展望台の観光中にも、”地雷危険区域” に指定されるエリアを所々で目にしました。
ツアーで訪れるルートはすべてコンクリートで舗装された道なのでもちろん安全ですが、その道を外れた場所にはいまだに多くの地雷が残されていることを実感させられます。
⑥ 都羅山(トラサン)駅
民間人統制区域にあり、 ”韓国最北端かつDMZに最も近い” 鉄道駅。
自由に立ち入れるエリアにないため、都羅山駅を利用する際には1つ手前の臨津江(イムジンガン)駅にて入境手続きを取る必要があります。
ただ、2019年以降は都羅山駅に乗り入れる全列車が無期限で運休となり、その後も復活したり、コロナなどの影響で運休になったりで、2023年7月現在も立ち入りはできず。
民間人統制区域とは?
→非武装地帯(DMZ)の韓国側の境界線である「南方限界線(SLL)」以南、約5〜10kmに設定される民間人の立ち入りを規制する緩衝地帯。
現在のソウル駅〜都羅山駅を結ぶ路線「京義線(キョンイソン)」は元々、北朝鮮と中国の国境沿いの町である新義州(シニジュ)までを結んでいました。
その後の南北分断により、北朝鮮側の都羅山駅〜平壌駅間は「平釜線(ピョンブソン)」、平壌駅〜新義州駅間は「平義線(ピョンイソン)」と名称が変更されました。
将来、南北の争いが収束して鉄道が再び連結する時には、都羅山駅は ”北朝鮮へ向かう始発駅” になることが期待されており、南北の人々が行き来するために利用する出入境審査台や税関などの施設も既に整っているそうです。
⑦ 統一村(トンイルチョン)
150世帯ほどが暮らすとされる統一村は、検問所がある統一大橋を渡った先の民間人統制区域に位置する小さな村。
DMZに唯一残された台城洞(自由の村)と同じく、統一村でも住民のほとんどが農業を営み、韓国人の義務である納税と徴兵が免除されます。
統一村の肥沃な土と豊かな自然が作り出す農産物「長湍豆(大豆)・長湍米・長湍人参」は ”長湍三白(チャンダンサムベク)” と呼ばれ、古の時代に王に献上されたことでも有名。
ツアーの最後に村の入り口にある直売所に立ち寄るのでこれらの農産物を購入できますが、村をゆっくり見学する時間はありません。
この後はソウルへ戻り、ツアー終了です。
旅に出るならこちらもチェック!快適な旅を実現しませんか?