
まず初めに!今回の旅について
【ルート紹介】ウザいのになぜか心惹かれる国!1ヶ月半でインドを女子ひとり旅_#88
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【バラナシ】盛大な沐浴祭り開催中!聖なるガンジス川が流れるヒンドゥー教の聖地_#93
【移動】バラナシ → ブッダガヤ
バラナシ(Varanasi)
DEE YOGA HOUSE(宿泊先)
↓ トゥクトゥク(約45分/R600)
16:20発 →22:00発(5.5h遅れ)
バラナシ・ジャンクション駅(BSB)
↓ 列車(4.5時間) Map参照↓
・運賃:Rs500(3Aクラス)
ガヤー(Gaya)
20:45着 →4:30着(8h遅れ)
ガヤー駅(GAYA)
↓ トゥクトゥク(約30分/R350)
Vistara Home Stay(宿泊先)
NOTE
・列車、宿泊先は「旅行代理店」にて予約
ビハール州(Bihar)に位置するブッダガヤは、ガヤーから南に15kmほど離れた小さな村。
その昔に、村の菩提樹の下で釈迦が覚りを得たことから ”仏教最大の聖地” とされ、菩提樹が佇む大菩提寺には世界中から熱心な仏教徒が集まります。
また、チベット、スリランカ、タイ、ベトナム、ミャンマー、中国、日本などアジア諸国の仏教寺院もあるため、目にするのは袈裟を身に纏った各国の僧侶の姿。ヒンドゥー教大国にいることを忘れてしまいそうなほどに穏やかな時が流れる村です。
そんなブッダガヤの観光に関しては基本徒歩。Uberは利用できないので、鉄道駅〜ブッダガヤの移動は料金交渉の上でトゥクトゥクに乗りましょう。
ブッダガヤの気候は?
<今回の旅(2025年2月)時点では...>
朝晩は肌寒いのでジャケットが必要ですが、日中は気温が上がるのでTシャツでOK。寒すぎず暑すぎず観光には良い時期。
<2月のブッダガヤ>
平均最高気温:26℃
平均最低気温:13℃
降水量:約15mm
<2月の東京>
平均最高気温:10℃
平均最低気温:4℃
降水量:約65mm
✔︎ ブッダガヤへの移動は安全な日中に
ブッダガヤの最寄は約15km離れたガヤー駅。このエリアでUberは利用できないので、駅前でトゥクトゥクを捕まえて約30分かけて移動します。
駅周辺の繁華街を抜けると、川沿いの一本道がブッダガヤまで続くのみ。たまに小さな村を発見できる程度の田舎道を見ず知らずのドライバーとともに行くのは危険が伴うので、夜遅くに到着するのであれば移動は翌朝まで待ちましょう。駅周辺には複数ホテルがあるので、待ち時間次第ではガヤーに1泊するのもあり。
夜が明ければ、田舎道とはいえそれなりに交通量と人の目があるので心配はいりません。
21時前にガヤー駅に着くはずの列車が遅れに遅れて早朝4時半に到着したので、日が昇って町が動き出す6時頃までプラットホームで待機しましたが、駅前から乗ったトゥクトゥクではトラブルに遭いました。
乗る前に料金交渉をしたものの、1kmほど走り出してから車を止めて「ブッダガヤは遠いから、やっぱりR50上乗せしてくれ」と言われたので断ると、回り道を始めたため、その場で降りて別のトゥクトゥクを探すことに。
すると「最初の金額で良いから乗ってくれ」としつこく追いかけてきたので揉めてしまい、近くを通り過ぎたインド人も仲裁に入ってくるほど。結局、別のトゥクトゥクで向かいましたが、こうした事態も起こり得るのでやはり人目のある時間帯に行動することは大切です。
エピソード「悪夢の夜」
バラナシからガヤーに向かう際のエピソード。
マハー・クンブ・メーラで大混雑のバラナシを出るべくバラナシ・ジャンクション駅に来たものの、リシュケシュ(Rishikesh)から1日近くかけてやってくる列車は4時間以上の遅延。長距離列車ほど遅延はよくあるらしく、さらにクンブ・メーラが影響している様子。
駅の待合所ではブッダガヤに向かうチベット僧と出会い、一緒に待つこと約4時間。あと30分程で列車が到着するというのでプラットホームへ向かうと、目に飛び込んできたのは大勢の人で溢れ返る異様な光景。
チベット僧曰く「この人たちはチケットを購入しないまま次の列車に乗り込むんだと思う。この様子だと乗車してもどうなるかわからないし、スマホの充電どころじゃないかも。」とのこと。
実は、十分に充電しておかなかったスマホのバッテリーは残りわずかで、待合所のコンセントはすべて埋まっており、列車内にはコンセントがあることを知っていたので、そこまで持てば大丈夫と考えていました。
正直なところスマホがないと時間さえもわからなくなってしまうので、少しでも充電するために待合所に戻ることにして、元々座席クラスも違うチベット僧とはそこで別れを告げました。
幸運にも少し充電ができたので急いでプラットホームへ戻り、乗車する3Aクラスの車両が到着するあたりに着くとそこには大勢のインド人が。
3AはA/C(エアコン)付き。その下には、A/CなしのSL(予約寝台席)とGN(自由座席)があり、A/Cの有無では運賃も大きく異なり、3Aに乗る人はそれなりに金銭に余裕があるので車内の治安も悪くないのが通常。
そんなことが頭にあったので、無賃乗車はA/Cなしのクラスに殺到するものと思っていたのですが、3Aの周辺にもこれだけ多くの人がいることに嫌な予感がよぎります。

地獄絵図① バラナシ
21時頃、4時間半遅れでようやく列車がプラットホームに入ってきたと同時に目にしたのは衝撃の光景。
完全に止まり切っていない列車をめがけて、我先にと飛び乗るインド人たち。車両前後の出入口には一瞬にして人が殺到し、さっきまでプラットホームで大人しくしていた人々が、押し合い、罵り合い、狂気さえ感じる形相で列車に乗り込もうとしているのです。
その光景を一言で表現するならば、地獄絵図。
凄まじい光景を前に立ち尽す自分。近くにいた鉄道警察もほぼお手上げ状態でしたが、一人ではどうしようもなく助けを求めると、警官は私を連れて人の波を掻き分け、車両の入口まで来たところで一言。「中に入れ!」
おかげで車両の連結部分には入れたものの、既にそこに溜まっている人と、外から無理やり入ってくる人との間に挟まって圧迫される始末。
「この状態で列車が発車してしまったら」と急に恐怖が押し寄せてきて、必死の思いで車外に脱出した結果、完全に振り出しに戻ってしまいました。
一体どうしたものか。もう夜の9時だし、明日の列車に空きがあるはずもないし、この列車を逃せば路頭に迷うことになるのに。
そんなことが頭の中を巡っていた中で目に入ったのは窓越しの車内。入口にばかり気を取られていましたが、車内は混雑していないのです。
無賃乗車者は車内には入らずに連結部分に留まっているだけで、そこを突破できれば座席に辿り着ける!ただ、長らく停車中の列車はいつ発車するかわからないので、急がないと。
もう一度、鉄道警察を捕まえて訴えてみると、警官は同じように人の波を掻き分けて、今度は何度も笛を吹いて、連結部分に留まる人を外に出してくれたのです。そして、半分ほど減ったところで一言。「中に入れ!」
これが最後のチャンスとばかりに力任せに人々を掻き分け、やっとの思いで車内に入ることができたのです。
A/Cの効いた涼しい車内は驚くほどに穏やかで、前の駅までに乗車している人々は、車外のカオスなんてどこ吹く風。ひとまず乗車できたことに胸を撫で下ろし、Upper Seat(3段ベッドの最上段)に横になって発車を待つことしばらく。結局、列車が動き出したのは22時頃で、1時間近くも停車していました。
駅を出発すると、連結部分から聞こえる罵り合いは次第に落ち着いたものの、列車は間もなく隣のKashi駅に到着。ここはまだガンジス川を越えていないバラナシの町で、案の定、罵り合いが再開。この駅にも無賃乗車はわんさかいて、次の駅、また次の駅でも繰り返され、気付けばもう深夜0時。
地獄絵図② ガヤー
基本的にインドの列車には停車駅を知らせる車内アナウンスはありません。
ixigo(アプリ)やGoogleマップなどで現在地を確認しながら下車する必要があり、停車時間はメジャー駅で約5分、マイナー駅では約2分。ひとつ前の駅を出発したら早々に準備して出入口に待機するのがインド流です。
ガヤー駅の到着時刻はアプリで確認する度に更新され、結局到着したのは早朝4時半頃。バラナシ駅出発時点で5時間半だった遅延は8時間に膨れていました。
Googleマップで現在地を確認しつつ、ガヤー駅が近付いてきたので降りる準備をするために起き上がると、そこで目にしたのは衝撃の光景。

バラナシ駅以来、今宵2度目の地獄絵図。
遡ること深夜1時頃。バラナシから遠く離れて無賃乗車の小競り合いもなくなったため、その多くが下車したものと思いきや。乗車以来、Upper Seatに横になっていたので知る由もなかったのですが、車両のフロアがテトリスさながらに人で敷き詰められていたのです。
Lower Seat(3段ベッドの最下段)の下の空間に荷物を置いていたので、インド人を叩き起こして荷物を取るのに一苦労。車両ど真ん中の座席から荷物を持って出口まで進むのに一苦労。
もう何人踏み潰したかわかりませんが、私の目的は無事にガヤー駅で降りること。そんな思いで必死に連結部分まで進むと、そこにもまた眠りに落ちるインド人たち。
そもそもなぜ彼らは無賃乗車をするのか?運賃を払う余裕もなくすがる思いでクンブ・メーラに来た人だけでなく、無賃乗車は大勢いるからチケットを購入する気すらない人も多くいるような気がしてならない。彼らの身なりを見て、そんなことを思ってしまいました。
こうして、やっとの思いで降り立ったガヤー駅。
無賃乗車に怒り心頭で煩悩だらけの私がこれから向かうブッダガヤは、奇しくもブッダが煩悩を解き放ち、覚りを得たことで知られる場所です。
【世界遺産】大菩提寺(マハーボディー寺院)
名称:ブッダガヤの大菩提寺
登録:2002年
種別:文化遺産
URL:世界遺産リスト
高さ約52mの塔が天高くそびえる大菩提寺。
ヒンディー語ではマハーボディー寺院(Mahābōdhi Vihāra)と呼ばれ、マハー=偉大、ボディー=覚りを意味しており、菩提(ぼだい)はボディーを音写したものになります。

寺院内には金色に輝く仏像が安置されており、その瞳は引き込まれそうなほどに澄んだ青色。
ブッダの身体には32の特徴である仏の三十二相なるものがあり、仏像などはそれに忠実に作成されます。その29番目の特徴に真青眼相(しんしょうげんそう)と呼ばれるものがあり、ブッダの瞳の色は紺青色とされています。
紺青色よりももっと鮮やかな青でしたが、清らかな青い瞳には「ブッダは我々を平等な眼で見て、ありのままを受け入れてくれる」という意味があるのだそう。

私は今までその存在すら知りませんでしたが、仏教には五体投地(ごたいとうち)と呼ばれる「両手・両膝・額を地面に着けて礼拝する」という最も丁寧な礼拝方法があります。
インドやチベットの仏教徒は五体投地で少しずつ前へ進みながら聖地を巡礼するそうで、大菩提寺にも熱心に行う人々を見かけました。
1回の五体投地で前に進むのは、両手をバンザイした時の全身長ほど。果てしない時間と体力を使い、まだ肌寒い早朝に汗だくになりながら礼拝する仏教徒を目にして頭をよぎったのは、バラナシで熱心に沐浴を行うヒンドゥー教徒の姿。
なぜ人はこれほどまでに宗教を信仰するのだろうか?宗教を信仰しない身であるがゆえにそんなことを考えて、思いに耽ってしまったブッダガヤの朝。
入場料(2025年2月)
無料
Rs100(カメラ持込時)
Rs500(ビデオ持込時)
※スマホは入口で預ける必要あり(預けたロッカーの鍵を受け取り、帰りに鍵を返してスマホを受け取るシステム)
菩提樹

塔の裏手に生える一本の菩提樹。大きく枝葉を広げるこの木の下でブッダは覚りを得たそうで、実際に座っていたとされる場所には金剛座(こんごうざ)が置かれています。
まるでそこにまだブッダがいるかのように、菩提樹に向かって早朝から熱心に経を唱える仏教徒の姿。
よく見かけたのはタイやベトナム。言葉を理解できないこともあってか、彼らの唱える経はどこかリズミカルで歌のよう。他にも異なる経典が混ざり合う早朝の大菩提寺ですが、それでもなぜかその音色は心地が良く、菩提樹の近くに腰を下ろしていつまでも聴き入ってしまうような不思議なものがありました。

実は、現在の菩提樹はオリジナルの子孫であり、植え替えられたもの。
菩提樹は元々、古代インドの言葉であるサンスクリット語ではピッパラ(pippala)という木でしたが、やがてボディー・ブリクシャ(Bodhi‐vṛkṣa)=覚り(ボディー)を得た木と呼ばれるようになり、日本語では菩提樹と訳されました。
そんな菩提樹にはご利益があると考えられているそうで、木の下では葉が落ちる度に枯れ葉の争奪戦が繰り広げられます。

ブッダとは?
ブッダ(Buddha)とはサンスクリット語で ”目覚めた人、覚りを得た人” を意味する言葉。後に中国で「仏陀」という漢字で記され、省略して「仏」と呼ぶようになりました。
また、ブッダのことを「釈迦」と呼ぶこともありますが、その理由はというと。
遡ること約2500年。古代北インドの小国「シャーキヤ(釈迦)」の王子として生まれたガウタマ=シッダールタ(Gautama Siddhārtha)は、後継となる男児を設けた後、29歳にして王族の地位を捨て、解脱への道を求めて出家しました。
本来、釈迦とは国名ですが、 ”シャーキヤの聖者” を意味するシャーキヤムニが省略され、ガウタマ=シッダールタは釈迦と呼ばれるようになります。
また、王族の身分から出家するというのも妙に感じますが、これはバラモン教における「四住期」と呼ばれる考え方に則ったものだそうで、バラモン教を引き継いだヒンドゥー教にも同様の考えが存在します。
前正覚山での苦行
出家した釈迦は(釈迦の父が護衛のために同行させた)5人の修行者とともに、現在のブッダガヤの東北に位置する前正覚山(Pragbodhi Mountain)と呼ばれる岩山で6年に及ぶ苦行を行います。
山の中腹の小さな洞窟(Pragbodhi Cave)では長期に及ぶ断食を行い、すっかりと痩せ細ってしまった釈迦でしたが、苦行の末にも覚りを得ることはできずにやがて下山することになります。

村の娘から受けた乳粥の供養
前正覚山からの下山中、釈迦は農作業中だった農民の歌を聞いたそうで、それは「琵琶(弦楽器)の弦は、強く張れば切れてしまうし、緩く張れば音が悪い」といった内容だったとか。
下山した釈迦は、身を清めるためにナイランジャラー川(現ファルグ川)で沐浴をしていると、川のほとりの村の娘が現れ、痩せ細った釈迦の姿を見て乳粥を供養してくれたのです。
乳粥を食べて心身ともに回復した釈迦は、農民の歌からヒントを得て「頑張りすぎも良くないし、頑張らないのも良くないし、偏りすぎずにちょうど良いのが一番良い」という考えに至り、苦行を放棄してしまいました。
そんな姿を目の当たりにした5人の修行者は釈迦を非難し、バラナシのサルナート(Sarnath)に去って行ってしまうのです。
一人になった釈迦はその後、ピッパラ(菩提樹)の下で瞑想に入ります。そして、49日目の明け方に釈迦の心に覚りが訪れ、この瞬間にブッダ(覚りを得た人)となったのです。

釈迦と村の娘のストーリーに触発されて、チベット料理店(Tibet Om Cafe)で食べたミルク粥は優しい味。
調味料に慣れた舌には物足りないというのが正直な感想で、煩悩からは到底抜け出せそうにないですが、ブッダガヤに来たことで知った「ちょうど良いのが一番良い」の釈迦の言葉には深く感銘を受けてしまいました。
欲張りそうになった時は、ぜひとも思い出したい言葉。
覚りを得た後
覚りを得た後のブッダは、その内容を人々に語る(説法する)べきか思い悩んだそうで、「常識に逆行する覚りの境地は人々に理解することはできず、語ったところで徒労に終わるだろう」と考えていました。
ブッダが一人思い悩みながら歩いたとされる場所(菩提寺の北側)には、彩り豊かな花がたむけられています。

一度は諦めかけたものの思い直したブッダは、まずはともに苦行をした5人の修行者に説くため、サルナートへ向かいました。
彼らは突然現れたブッダを拒んだそうですが、説得されて説法を聞く内に、一人また一人と覚りを得ていきます。この説法こそが、初転法輪(しょてんぽうりん)と呼ばれるもの。
そして5人はブッダの最初の弟子となり、ブッダとともに仏教教団を設立してインド各地で布教活動を始めます。それが人々に広まり、やがて釈迦は ”仏教の開祖” として認識されるようになるのです。
スジャータ村

乾季になると枯川になるファルグ川に架かる橋を渡った先、ブッダガヤの東にあるスジャータ村はのどかな農村で、その昔はセーナー村と呼ばれました。
実は、村の名前は ”釈迦に乳粥を与えた村の娘” に由来しており、彼女の名前こそがスジャータ。日本にも乳製品などを扱う会社「スジャータめいらく」があり、スーパーなどでも見かける名称ですが、やはりこのスジャータから来ているそうです。
スジャータが住んでいたとされる場所には、8〜9世紀に建設されたスジャータ・ストゥーパがあり、そこから約1km離れた場所にあるスジャータ寺院には、スジャータから乳粥の供養を受ける釈迦の像が置かれています。
ストゥーパから寺院へ向かう際は田んぼの畦道を歩くと近道。敷地に入ってよいものか戸惑いますが、地元の人は日頃から利用しており、誤った方向に進むと「寺院はこっちだよ!」と親切に教えてくれます。


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