まず初めに!今回の旅(日本 → ベトナム)について
【ホイアン】ベトナム人にも人気の観光スポット!カラフルなランタンが夜空を彩る世界遺産の町_#76
ダナンのベストシーズンは?
Best!:2月〜5月
Good:1月〜8月
今回の旅(2023年1月)= オンシーズン!
<ざっくりと言えば...>
雨や曇りの日は肌寒いですが、太陽が出れば気温が上がりTシャツ1枚でもOK!
1月下旬にもなると雨が降り続く日は少なくなり、屋外観光するにも比較的過ごしやすい気候です。
<1月のダナン>
平均最高気温:24℃
平均最低気温:19℃
降水量:約95mm
<1月の東京>
平均最高気温:10℃
平均最低気温:1℃
降水量:約50mm
ダナン・チャム彫刻博物館
ダナン・チャム彫刻博物館は、チャンパ王国の遺跡から発掘した彫刻や芸術品など、400点以上が展示される博物館。
チャンパ王国の宗教中心地であった世界遺産のミーソン遺跡からの発掘品も展示されているので、遺跡を訪れる前に予習しておきたいスポットです。
中には国宝クラスの展示品もありますが、仰々しいケースなどは設置されておらず、触れられるほどに至近距離で鑑賞することができます。
チャンパ王国とは?
→2世紀後半から長きに渡り、ベトナム中部〜南部の沿岸を中心に繁栄した王国。
ヒンドゥー教などインド由来の文化を取り入れ、またその土地柄から海上貿易で繁栄したものの、アンコール王朝(現在のカンボジア)との争いが絶えず、1832年にはグエン王朝(ベトナム最後の王朝)に併合された。
「発掘された地域別」に分けて展示されており、以下4つが特に見応えのあるルーム。
①トラキュー(Trà Kiệu)
②ミーソン(Mỹ Sơn)←ミーソン遺跡の発掘品
③ドン ドゥオン(Đồng Dương)
④チャップ マム(Tháp Mẫm)
展示品のすべてをゆっくりと見て回っても約1時間の規模感で、雨宿りにも適した場所なので、天気の悪い日にはまずチャンパの歴史に触れてみると良いかもしれません。
トラキュー ルーム
トラキュー(Trà Kiệu)とは?
・ダナンから南へ約40km
・チャンパ王国の王都
チャム族(チャンパ王国を築いた民族)にとって祭壇は、神と寺院を繋ぎ、天と地を繋ぐ場所であり、主祠堂の中央に置かれていたもの。
正方形の台座の4面には精巧な彫刻が見られ、これはインド神話の叙事詩「ラーマーヤナ」の抜粋と考えられています。
また、台座の上には、上部に「リンガ」と、中央に2つの丸い板から成る「ヨニ」が置かれています。
「リンガ」とは男性器をかたどった像で、通常、女性器をかたどった「ヨニ」と呼ばれる台座の上に置かれ、 ”子孫繁栄の象徴” として古くから崇拝されてきたもの。
次第にシヴァ信仰が発展したことで、リンガはシヴァの本質である ”力、生命エネルギーや創造力” を象徴する像(神体)として崇拝され、多くのヒンドゥー教寺院に祀られるようになりました。
シヴァとは?
→ヒンドゥー教の最高神のひとつであり、破壊の神。破壊とは次なる創造を生み出すためのものであるため、”破壊と創造の神” としても知られる。
最高神とは?
→以下3つの神。三神一体(トリムルティ)と呼ばれるヒンドゥー教の教えでは、これらの神は本来は一体であり、3つの姿で現れているものとされる。
① ”創造神” ブラフマー(Brahma)
② ”維持神” ヴィシュヌ(Wisnu)
③ ”破壊神” シヴァ(Siwa)
三神一体と言いつつも、ヒンドゥー教には ”ヴィシュヌ派” と ”シヴァ派” の2大宗派が存在し、それぞれが最高神として崇められています。
リンガ信仰はシヴァ派の特徴で、その信仰の発生においてはシヴァを世界の創造主とするこんな神話が伝えられています。
ヴィシュヌが ”原初の混沌の海” を漂っていた時、光とともにブラフマーが生まれた。
「どちらが世界の創造者であるか」を争っていたところに、突如閃光を放って巨大なリンガが現れた。
そのリンガの果てを確かめるため、ブラフマーは白鳥の姿になって空へ、ヴィシュヌは猪の姿になって水中へとそれぞれの果てを目指したが、リンガは果てしなく続いていたため、やがて諦めて元の場所に戻ってきた。
すると、リンガの中から三叉戟(さんさげき)を手にしたシヴァが現れた。
シヴァは「ヴィシュヌもブラフマーも自分から生まれた者であり、3神は本来同一の存在である」と説き、シヴァこそが「世界の始まりであり中間であり終わりである」ということで決着がついた。
アプサラはインド神話に登場する ”姿を自由自在に変えることができる天女” で、地上では水鳥に扮して水辺に住むとされています。
ちなみに、チャンパ王国と長年争いが絶えなかったアンコール朝(現在のカンボジア)には、アプサラダンスと呼ばれる煌びやかな衣装をまとった女性たちが妖艶に舞う宮廷舞踊が古くから伝わります。
アンコール朝の代表傑作であるアンコール遺跡群の至るところでは、デヴァターと呼ばれる女神のレリーフ(彫刻)が見られ、その多くはアプサラダンスを踊る姿を描いています。
ミーソン ルーム
ミーソン(Mỹ Sơn)とは?
・ダナンから南へ約50km
・チャンパ王国の宗教中心地(聖域)
ミーソン遺跡の Group E(E1タワー)より持ち込まれたもので、メール山(須弥山)をイメージした祭壇。
インド神話においてメール山は ”世界の中心にそびえる聖なる山” であり、神々の住まい。そして、シヴァはその山の頂上に君臨する神とされています。
ミーソン遺跡はシヴァ派の聖域なので、かつて祭壇上にはシヴァの象徴とされるリンガ(ヨニ)が置かれていました。
祭壇と同じく、E1タワーから持ち込まれたアーチ部分の装飾彫刻で、インド神話上の宇宙創造の伝説である ”ブラフマーの誕生” が表現されています。
ヴィシュヌ派によると、「ブラフマーはヴィシュヌのへそから生えた蓮の花から生まれた(シヴァはブラフマーの額から生まれた)」とされており、この彫刻にもその様子が描かれます。
シヴァ派の聖域であるミーソン遺跡の建造物の多くはシヴァを祀るために建てられていますが、このように一部、ヴィシュヌ派のものも存在しています。
ドンドゥオン ルーム
ドンドゥオン(Đồng Dương)とは?
・ダナンから南へ約60km
・チャンパ王国の王都
かつては、インドラプラ(Indrapura)の地名で知られた地域。
ヒンドゥー教に代わり、密教系の仏教を導入したチャンパ王国第6王朝の国王「インドラヴァルマン2世(Indravarman II)」が、9世紀に観音菩薩を祀るための寺院をこの地に建設し、王都としました。
1978年に地元の人が偶然発見したという多羅菩薩(ターラー)のブロンズ像。この作品は、東南アジアの重要なブロンズ像のひとつとされています。
多羅菩薩は密教で信仰されている女性の仏で、ターラー(Tārā)とはサンスクリット語で「瞳」を意味する言葉。
人々の苦しみの声を聴いて救う観音菩薩が、救い尽くせないことを嘆いて流した ”悲しみの涙” から生まれたとされ、多羅菩薩は救済に漏れた人々を救うことで知られます。
チャップマム ルーム
チャップマム(Tháp Mẫm)とは?
・ダナンから南へ約300km
・ビンディン省(Bình Định)のアンニョン(An Nhơn)にある遺跡
この土地からは ”インド神話上の伝説の動物” をテーマにした彫刻が多く発掘され、造りが複雑で密度が高い(重い)ことが特徴で、総重量は約58トンにも及ぶものでした。
チャム彫刻のドラゴンは異なる動物の組み合わせであることがよくあり、この彫刻も頭はマカラ、胴体と足はライオン、尻尾はワニのような組み合わせ。
マカラ(Makara)は神話に登場する怪魚で、水を操る力を持ち、ワニとライオンの合成獣として表現されます。
ガルーダ(Garuda)は、太陽のように輝く光を発する神鳥。
ヒンドゥー教では神々は動物や架空の生き物に乗るとされ、その乗り物はヴァーハナと呼ばれます。ガルーダは、最高神のひとつであるヴィシュヌ神のヴァーハナとして知られます。
ちなみに、インドネシアの航空会社「ガルーダ・インドネシア」もこのガルーダが由来です。
ガジャシンハ(Gajasimha)は、象(ガジャ)の頭とライオン(シンハ)の体を持つ神獣であり、象の頭は ”神の知恵と力” を象徴し、ライオンの体は ”王の君主制” を表します。
ちなみに、神話上では重要な役割を持っていたわけではないですが、現在のカンボジアの国章にも描かれており、クメール文化圏においては重要な存在となっています。
施設情報
時間:↑クリック>Giới thiệu>Thông tin cần biết>Giờ mở cửa
料金:↑クリック>Giới thiệu>Thông tin cần biết>Giá vé
現地ツアーに参加してミーソン遺跡観光
ダナンとホイアンのいずれからも車で約1時間の距離にあるミーソン遺跡。
タクシーで訪れることもできますが、それなりの距離があるのでツアー参加が一般的。ダナンにもホイアンにも旅行代理店は複数あり、人気観光スポットとしてツアーは毎日催行しているので参加は簡単です。
今回は、ホイアン滞在中にホテルのレセプションで勧められたツアー(MY SON SUNSET TOUR WITH BOAT TRIP)に参加しました。
ホテルにてピックアップ(13:00発)
↓
ミーソン遺跡(14:00着)
↓
博物館(ギャラリー)
↓
カート乗り場(入口側)
↓ カート/約5分
カート乗り場(遺跡側)
↓ 徒歩/約10分
遺跡(Group B・C・D)
↓
チャムダンス鑑賞(15:30頃)
↓ 徒歩
カート乗り場(遺跡側)
↓ カート
カート乗り場(入口側)
↓
ミーソン遺跡(17:00発)
↓
トゥボン川(船着場)
↓ ボート
トゥボン川(船着場)
↓
ホテルにてドロップオフ(18:00着)
ツアー詳細:↑クリック>TOURS>Small Group Tours
【世界遺産】ミーソン遺跡
正式名称:ミーソン聖域
登録年/種別:1999年/文化遺産
ミーソン遺跡は、チャンパ王国で信仰されていたヒンドゥー教 ”シヴァ派” の聖域。
チャンパ王国の遺跡の中で最も規模が大きく、最重要視された宗教中心地と考えられています。
チャンパ王国とは?
→2世紀後半から長きに渡り、ベトナム中部〜南部の沿岸を中心に繁栄した王国。
ヒンドゥー教などインド由来の文化を取り入れ、またその土地柄から海上貿易で繁栄したものの、アンコール王朝(現在のカンボジア)との争いが絶えず、1832年にはグエン王朝(ベトナム最後の王朝)に併合された。
ミーソン(Mỹ Sơn)とは、ベトナム語で ”美しい山” を意味する言葉であり、その名の通りに遺跡は小さな山々に囲まれた自然豊かな場所に広がります。
中でも一際目立つ独特な形状した山は ”聖なる山(マハーバルヴァタ)” として知られ、かつてミーソンを崇めたチャム族はこの山の方角に向かって祈りを捧げたそう。
山頂に薄い雲がかかり、微かな陽の光が差すその光景は実に神秘的。聖なる山と崇める理由もどことなくわかる気がしてしまいます。
4世紀頃にシヴァを祀るための木造の祠堂を建てたことがミーソン遺跡の始まり。
その後火災により消失してしまったことから、7世紀にはレンガ造りの塔に建て替えられ、13世紀に至るまで国王が変わる度に塔の建設が行われました。
そのため、現在の遺跡で見ることができるのは7~13世紀に建てられたレンガ造りの建造物です。
建造物はAから順にグループ分けされ、さらにグループ内で数字が振られています。
ただ、1969年頃にベトナム戦争の爆撃でその多くが破壊されてしまったため、保存状態が良く残されているのは Group B・C・D のみで、実際にツアーで訪れたのもこの3グループでした。
ちなみに、グループはAから順に発掘年が新しくなり、未だ発掘中のグループも存在します。
入口からカートに乗って数分、そこからまた約10分歩くと、遺跡のメインエリアである Group B・C・D に到着。
苔や草がレンガを侵食する光景からは遙かな時間の経過を感じられ、まるでジブリ映画「天空の城ラピュタ」の世界さながらの雰囲気が漂います。
Group C
入口から最も近い場所にあり、まず目に入るのは Group C の主祠堂である ”C1” タワー。
儀式を行う空間でもあった塔の内部には、シヴァの本質である ”力、生命エネルギーや創造力” を象徴する像「リンガ(ヨニ)」が設置されていましたが、現在は「ヨニ」のみが残されています。
遺跡には多くの塔の群(グループ)がありますが、基本的には、メインの塔(主祠堂)の周囲に小さな塔が集まる構造で、すべての塔は ”太陽の光を受けるため” に東を向いています。
Group B
チャム族が築いた建造物の特徴は、セメントや漆喰などの接着剤を使った形跡がないこと。レンガをずらして積み上げる独特な建築技法を用いており、屋根を支える支柱もありません。
風化や破損が目立ちますが、レンガを積んだ後に彫られたとされるインド神話に関連するレリーフ(浮き彫り)も遺跡の見どころで、それをよく確認できるのが ”B5” タワー。
元々は儀式で使用する用具や宝物を保管するための塔で、外壁に施された女神像や、入口上部に施された ”2頭の象” の彫刻、それから美しい曲線を描く屋根も保存状態良く残されています。
Group D
「ヨニ」の上に座る ”頭部のない” シヴァ神像。
遺跡はベトナム戦争によるダメージだけでなく、このように盗掘被害も受けています。
「ヨニ」とは女性器をかたどった台座で、ヨニの上には通常、「リンガ」と呼ばれる男性器をかたどった像が置かれ、 ”子孫繁栄の象徴” として古くから崇拝されてきました。 ”力、生命エネルギーや創造力” を本質に持つシヴァはリンガとして崇拝されたことから、このような作品が見られます。
ちなみに、シヴァ神像の背後にある ”D1” はタワーではなく横に長い建物になっており、内部には発掘品やベトナム戦争の不発弾などが展示されています。
Group A
保存状態が良いことから Group B・C・D がメインとなっていますが、実はミーソン遺跡の建造物で ”チャンパ建築の最高傑作” と称されていたのは、Group A の主祠堂である ”A1” タワー。
ベトナム戦争時に破壊されてしまい実物を見ることは叶いませんが、ダナン・チャム彫刻博物館には当時の姿を再現した模型が展示されています。
戦争による爆撃がなく当時の姿を残していたら、ミーソン遺跡は巨大な遺跡群としてカンボジアのアンコールワット(Angkor Wat)に劣らず有名になっていたのではないかと考えられています。
チャンパ王国の歴史を肌で感じられるミーソン遺跡は、人間の浅はかさを考えさせられる場所でもありました。
帰り道はトゥボン川でボート乗船
ミーソン遺跡からホイアンへの帰り道は、途中からボートに乗り換え。
雨季の終わりの1月中旬は日中も比較的涼しく、日が陰ると次第に寒くなり、窓のない開放的なボートに吹き荒ぶ風に凍えました。
もう少し暖かい時期なら悪くないかもしれませんが、特別な景観があるわけではなく川をボートで渡るだけなので、正直なところ、行きと同じくバス移動でも良かったかもと思ったのが本音です。
施設情報
時間:↑クリック>NEWS-EVENTS>VISITOR INFORMATION>CROSING TIME AND PERFORMANCE SCHEDULE
料金:↑クリック>NEWS-EVENTS>VISITOR INFORMATION>Ticket prices
360°ストリートビュー:ミーソン遺跡
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