まず初めに!今回の旅(日本 → エジプト)について
【アスワン】ナイル川での風まかせのファルーカ(帆船)乗船もおすすめ!誇り高きヌビア人の住む街_#84
車をチャーターしてピラミッド巡り
ピラミッドといえば、ギザの三大ピラミッドが有名すぎて影に隠れがちですが、実はエジプトには100基以上ものピラミッドが存在しています。
ギザの南にあるサッカーラやダフシュールと呼ばれる町には、三大ピラミッド以前に建てられた特殊な形をしたピラミッドなどが見られ、ギザ〜ダフシュールのピラミッドはまとめて世界遺産に登録されています。
ピラミッドが美しい四角錐へと発展した過程、まさに ”ピラミッドの軌跡” を知ることができる場所。エジプト人曰く「三大ピラミッドを見ただけでは、エジプトに来たとは言えない!」そうなので、ぜひギザ以南にも訪れてみることをおすすめします。
正式名称:メンフィスとその墓地遺跡 ギーザからダハシュールまでのピラミッド地帯
登録年/種別:1979年/文化遺産
サッカーラやダフシュールを巡るギザ発の現地ツアーもありますが、ゆっくり観光したかったこともあり、宿からUberを呼んでサッカーラへ。
その道中で、近隣の町であるメンフィスやダフシュールにも行く予定であることをドライバーに伝えると、Uberが利用できるのはカイロ・ギザ周辺のみだから、絶対に車をチャーターした方が良いと忠告されたので、そのままチャーターすることに。
実際にギザ以南の町を訪れた結果、ツアーに参加している人がほとんどで、Uberはおろかタクシーを拾うことすら難しい状況だったため、ドライバーの忠告は正しいものでした。
そのため、ギザ以南のピラミッド巡りをする場合は「車をチャーターする」もしくは「現地ツアーに参加する」ことを強くおすすめします。
ギザ(Giza)
10:00発
The Gate Hotel Pyramids(宿泊先)
↓ Uber(約45分/140E£)
サッカーラ(Saqquara)
チケット売り場(サッカーラ)( 入場料 300E£)
↓ (約3分/1.5km)
11:00〜12:00
階段ピラミッド( 入場料 150E£)
↓ 徒歩(約1分)
ウナス王のピラミッド
↓ (約5分/2km)
12:15〜12:45
セラペウム( 入場料 180E£)
↓ (約15分/7km)
メンフィス(Memphis)
13:00〜13:30
メンフィス博物館( 入場料 100E£)
↓ (約15分/8km)
ダフシュール(Dahshour)
チケット売り場(ダフシュール)
↓ (約3分/2km)
14:00〜14:30
赤いピラミッド( 入場料 無料)
↓ (約3分/2km)
14:30〜15:00
屈折ピラミッド( 入場料 150E£)
↓ (約1時間/30km)
ギザ(Giza)
16:00着
The Gate Hotel Pyramids(宿泊先)
NOTE
・木曜に訪問:全体的に混雑なし
・チャーター料:1,500E£(+チップ 200E£)
サッカーラ
ギザから南に約20km。
古王国時代に首都はメンフィスにあり、そのネクロポリス(死者の都)であったことから多くのピラミッドやマスタバが見られる地域で、特に ”エジプト最古のピラミッド” である階段ピラミッドがあることで有名な町です。
太陽崇拝が行われていた古代エジプトでは、ナイル川を挟んで日が昇る東岸は ”生者の世界”、日が沈む西岸は ”死者の世界” と考えられており、死を象徴する建造物はナイル川の西岸に存在します。
マスタバ(Mastaba)とは?
→古代エジプトで建設されたベンチ形の墳墓。ピラミッド建設に影響を与えた建造物として知られ、王墓がピラミッド形式へシフトした後も、高官や貴族の墓の形式として建設された。
施設情報
2023年10月時点の情報
※頻繁に値上がるので参考程度に
【世界遺産】階段ピラミッド
第3王朝のファラオ「ジョセル」によって建設されたエジプト最古のピラミッド。
高さ=62m
底面=125m × 109m
元々は、高さ10m、63m × 63mの正方形のマスタバとして建設予定でしたが、相次ぐ計画変更によって最終的にマスタバを6段積み上げた階段状のピラミッドとなりました。
また、それまでの王墓にはおもに日干しレンガが使用されていましたが、階段ピラミッドに用いられたのは石灰岩。石材を切り出しているため、日干しレンガに比べて崩れにくくなります。
後に建設されるギザの三大ピラミッドにも石灰岩が使用されており、4,500年の時を超えてもなお外観を美しく残す理由には材質が大きく関係しているのです。
ピラミッド南側の入口から内部に入り、ライトアップされた地下通路を進みます。
突き当たりまで進むと、深さ約28mまで掘られた竪坑(たてこう)が現れます。
底部分に見えるのは王を埋葬するための玄室(げんしつ)で、ここを起点にして迷宮のように張り巡らされた通路の先には複数の地下室がありますが、観光客には公開されていないため立ち入りはできません。
ピラミッドの北側(屋外)には、セルダブと呼ばれる死者の彫像を安置するための密室があります。
壁には覗き穴が2つ空けられており、覗き込むとジョセル王の座像を見ることができますが、実はこれはレプリカ。本物はカイロのエジプト考古学博物館に展示されています。
ちなみに、壁に開けられた穴は本来は覗くためのものではありません。古代エジプトでは彫像には死者の魂の一部が宿るとされていたため、その魂が自由に出入りできるようにと空けられたものであったそう。
【世界遺産】ウナス王のピラミッド
第5王朝のファラオ「ウナス」によって建設され、古王国時代において最小とされるピラミッド。
崩れた外観はまるで瓦礫のようですが、地下に広がる内部の保存状態は良く、壁にはヒエログリフ(古代エジプトの象形文字)がびっしりと刻まれたピラミッド・テキストが見られることで有名です。
それまでの王墓には見られないものであったことから ”最古のピラミッド・テキスト” とされており、その後に建設された王墓には同様のテキストが刻まれるようになります。
ピラミッド・テキストとは、王の再生・復活を願うための葬祭文書。
葬送に使用された呪文を集めたもので、実に700以上の呪文が存在しており、それらは順序良く整理することなく順不同に綴られています。
その内容は、 ”死と復活の神” オシリスと一体化するための呪文や ”太陽神” ラーに迎えられて天に昇るための呪文など。また「ピラミッドは死したファラオが天へ昇る階段である」といったことも表現されています。
死後の世界で復活して永遠の命を得ることを望んだのが古代エジプト人の死生観ですが、古王国時代においてはそれを叶えられるのはファラオのみであるとされ、死したファラオはラーとともに船に乗って天空を巡るなどと考えられていました。
ちなみに葬祭文書は、中王国時代になると壁ではなく棺に刻まれるコフィン・テキストになり、新王国時代には死者の書へと時代とともに発展していきます。
古王国、中王国、新王国?
「事前に知れば旅をもっと楽しめる!「古代エジプト」とは?「エジプト神話」とは?_#93」をチェックしてみよう!
古代エジプトの象形文字であり、 神聖な碑文に用いられたことから ”神聖文字” とも呼ばれるヒエログリフ。記すと力を持つとされたため、神への祈りや死者へのお供え物を記せばそれは現実になると信じられていました。
古代エジプト王朝が滅んだ後、次第に使用されなくなったヒエログリフは、4世紀末には完全に消滅。その読み方も忘れ去られましたが、1799年のナポレオンによるエジプト遠征時にロゼッタ・ストーンと呼ばれる石碑の一部が発見されました。
そこにはヒエログリフがギリシャ語とともに併記されていたことから、1822年にフランス人学者「シャンポリオン」が解読に成功し、眠っていた古代エジプトの歴史が解明されることになるのです。
【世界遺産】セラペウム
何もない更地に見えますが、実はこの地下に広がるのは全長約200mの巨大な回廊。
28の埋葬室に花崗岩でできた24の石棺が残されており、メンフィスで信仰されていた ”創造神” プタハの化身である聖なる雄牛アピスのための地下式墳墓とされています。
古代エジプトでは、動物は ”神の化身” や ”神に仕える聖獣” として崇拝されていました。アピスには全身に29の特徴があるとされ、かつてメンフィスにあったプタハ神殿ではそのすべてを満たす牛をアピスとして飼育、崇拝し、死後にミイラにしてセラペウムに埋葬しました。
セラペウムは、第19王朝のファラオ「ラメセス2世」の時代に建設され、その後、第26王朝のファラオ「プサメティコス1世」や第30王朝のファラオ「ネクタネボ1世」の拡張工事を経て、現在の形となりました。
ライトアップされた回廊。地上からはとても想像がつかないほど広大な作りに圧倒されます。
埋葬室に設置された花崗岩の石棺は重さ約70トン。まるでレーザーを使用したかのようにスパッと切れた断面と、つるつるに磨かれた表面にはヒエログリフ(古代エジプトの象形文字)が刻まれています。
古王国時代にギザの三大ピラミッドを建設した古代エジプトの石切り技術を考えれば驚くまでもないですが、セラペウムにはこの規模の石棺が24個も存在するのです。
メンフィス(メンフィス博物館)
ギザから南に約20km。
上エジプト(アスワン〜カイロあたり)と下エジプト(カイロ〜アレクサンドリアあたり)の中間地点にあったことから、上下エジプト統一時に初代ファラオ「メネス」によって建設され、古王国時代には首都として栄えた場所。
古王国時代が終焉し、内乱が続いた第1中間期を経た後、首都はナイル川上流のテーベ(現在のルクソール)に置かれましたが、首都機能は失ったもののメンフィスは重要な商業の中心地であり続けました。
また、メンフィスでは ”創造神” プタハが信仰され、現在のメンフィス博物館あたりにはかつてプタハ大神殿が存在して重要な聖域とされていました。
プタハは製造業に携わる職人たちを守護する ”鍛冶の神” でもあり、また、鍛冶に使用する鉱物は地下資源であることから、闇を好む ”冥界(地下)の神” としても知られます。
施設情報
2023年10月時点の情報
※頻繁に値上がるので参考程度に
ラメセス2世の巨像
1820年にイタリアの考古学者によって発見された第19王朝のファラオ「ラメセス2世」の巨像。
ラメセス2世は多くの業績と建造物を残した ”古代エジプト史上最も偉大な王” として知られ、24歳で即位、66年もの間エジプトを統治し、90歳で大往生した人物です。
35歳程度であった当時の平均寿命において、90歳まで生きたことがまず驚きですが、さらにその生涯で複数の王妃や側室との間に設けた子どもの数は優に100人を超えていたそうで、もはや規格外な人物であったことがわかります。
アラバスター製のスフィンクス
新王国時代に作成された保存状態の良いアラバスター(雪花石膏)製のスフィンクス像。
人間の顔とライオンの体を持つ神聖な存在であるスフィンクスはファラオや神を守護するシンボル的なもので、ギザの大スフィンクスが最も有名ですが、このアラバスター製のスフィンクスもメンフィスを代表する有名なもの。
野外博物館であるメンフィス博物館では、展示物はほぼ屋外に置かれており、プタハ大神殿の跡地で発掘された彫像などが複数展示されています。
ただ、発掘品の多くは全世界の主要な博物館に販売されたり、カイロのエジプト考古学博物館に保管されているため、メンフィスは時間に余裕があればサッカーラとセットで訪れるくらいが良いかもしれません。
ダフシュール
ギザから南に約30km。
サッカーラと同じく、古王国時代の首都メンフィスにおけるネクロポリス(死者の都)であり、古王国時代や中王国時代に建設されたピラミッドが見られる地域。
中でも、ギザの大ピラミッドを建設したクフ王の父である第4王朝のファラオ「スネフェル」によって建設された2つのピラミッド(屈折ピラミッドと赤いピラミッド)は保存状態良く残されています。
約4,500年を経てもなおその形を綺麗に残すギザの大ピラミッドは、父親の失敗を参考にした息子の作品であり、ダフシュールはまさにピラミッドが美しい四角錐に至るまでの ”試行錯誤” を目の当たりにできる場所なのです。
施設情報
注意
ダフシュール(屈折ピラミッドと赤いピラミッド)のチケットは、エリア入口あたりのチケット売場で購入します
【世界遺産】屈折ピラミッド
第4王朝のファラオ「スネフェル」によって建設されたピラミッド。
急勾配すぎて石の重量を支えきれなくなったために計画を途中で変更せざるを得ず、上下で角度が異なることから ”屈折ピラミッド” と呼ばれています。
傾斜角度=52度(下層部)、43度22分(上層部)
高さ=約105m
底辺=約180m
ピラミッド表面を滑らかにするための装飾である化粧石が多く残されていることも特徴。
実は、ギザの三大ピラミッドも完成当初は化粧石で覆われて滑らかな表面をしていましたが、良質な石であったがゆえにその多くが持ち去られ、現在の積み上げた石が剥き出しの状態になってしまいました。
屈折ピラミッドの東側に見られるのは、第12王朝のファラオ「アメンエムハト3世」によって建設されたピラミッド。
古王国時代に盛んに行われたピラミッド建設は中王国時代にも継続されていましたが、石材ではなく日干しレンガを使用したり、建設方法が雑になり崩れやすくなったため、あまり現存しません。
このピラミッドも表面を覆っていた化粧石が崩れ落ちて基礎部分の日干しレンガが露出していることから ”黒いピラミッド” と呼ばれています。
今となっては面影すらないですが、完成当初の表面は化粧石で白く輝き、ピラミッド頂上には黒いベンベン石が乗せられたツートンカラーだったそう。
ベンベンとは、エジプト神話における ”原初の丘”(神が最初に降り立った世界の始まりの地)を意味し、その丘を模して作成した四角錐の石をベンベン石と呼びます。
ちなみに、黒いピラミッドに実際に乗せられていたベンベン石はカイロのエジプト考古学博物館に展示されています。
【世界遺産】赤いピラミッド
第4王朝のファラオ「スネフェル」によって建設されたピラミッド。
完成当初は化粧石で覆われていましたが、その大部分が失われてしまい露出した花崗岩が赤く見えることから ”赤いピラミッド” と呼ばれています。
傾斜角度=43度19分
高さ=約105m
底辺=約220m
ギザの「クフ王のピラミッド」「カフラー王のピラミッド」に次ぐ3番目の高さを誇りますが、傾斜角度が50度以上あるギザのピラミッドに比べるとかなり緩やかな印象を受ける外観。
また、傾斜角度は屈折ピラミッドの上層部とほぼ同じで、屈折ピラミッドでの失敗を活かして初めて直線ラインで建てられたため、 ”最古の真正ピラミッド” でもあります。
屈折ピラミッドと同様に赤いピラミッドも内部が一般公開されており、階段を上った中腹部分から中に入ることができます。
入口からは「下降通路(約65m)」が続き、その先に「前室」と「玄室」がある構造。
幅が約1mの狭い下降通路は身を屈めて進む必要があり、手すりを持ちつつ、後ろ向きで降りるのが楽に進めるコツ。
中腰で60m以上降りるのもかなり体力を消耗しますが、登りの方がもちろんハード!そして、通気口が十分になく空気の循環が行われないため、ピラミッド内部の湿度の高さは異常です。
こんな狭い通路では助けようがなく一度降りたら自力で戻る必要があるので、自身の体力と相談して挑みましょう。ちなみに年齢制限はもちろんないので、シニアの方々もちらほら見かけました。
前室や玄室の室内に装飾は一切なく、至ってシンプルな作り。
重力を分散させる目的で、天井に近づくにつれて徐々に壁が狭くなる ”持ち送り構造” と呼ばれる技術が用いられており、これは後に建設されるギザの大ピラミッドの大回廊にも採用されています。
また、王を埋葬するための玄室(げんしつ)からはミイラの断片が見つかっており、断定はされていないものの、スネフェル王のミイラと考える学者もいるそうです。
最後に待ち受けているのは、ひたすら続く上昇通路。
途中で心が折れそうになりながらも、手すりを頼りに光が差し込む出口を目指して外に出ると、涼しくて新鮮な空気に衝撃。ピラミッド内部の湿度の高さを実感する瞬間です。
ちなみに、赤いピラミッドよりも屈折ピラミッドの方が通路が少し長いのでよりハードな印象。内部構造は似ているので、どちらかひとつに入るだけで十分なのが正直な感想です。
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