まず初めに!今回の旅(日本 → エジプト)について
【アスワン】ナイル川での風まかせのファルーカ(帆船)乗船もおすすめ!誇り高きヌビア人の住む街_#84
ルクソール
ルクソールの風物詩は、西岸の空を彩る早朝の熱気球。
新王国時代に首都(テーベ)として栄えたことから、世界遺産に登録される遺跡が多く残る街です。
正式名称:古代都市テーベとその墓地遺跡
登録年/種別:1979年/文化遺産
太陽崇拝が行われていた古代エジプトでは、ナイル川を挟んで日が昇る東岸は ”生者の世界”、日が沈む西岸は ”死者の世界” と考えられていました。
そのため、東岸には ”生” を象徴する神殿などが、西岸には ”死” を象徴するファラオたちが眠る墓や葬祭殿などが存在します。
ちなみに、ルクソールの西岸にはピラミッドのような形をしたエル・クルンと呼ばれる山があることが墓所として好まれた理由ともいわれています。
ルクソールのベストシーズンは?
Best!:12〜2月
Good:11〜3月
今回の旅(2023年10月)= オフシーズン
<ざっくりと言えば...>
日差しがジリジリと暑い時期!
屋外観光には水と帽子が必須ですが、湿度は低いので日陰に入れば比較的過ごしやすい気候です。
<10月のルクソール>
平均最高気温:35℃
平均最低気温:18℃
降水量:約1mm
<10月の東京>
平均最高気温:22℃
平均最低気温:14℃
降水量:約160mm
現地ツアーに参加して西岸観光
東岸/East bank
8:00発
Nefertiti Hotel Luxor(宿泊先)
↓ (約40分/25km)
西岸/West bank
9:10〜9:20
メムノンの巨像( 入場料 無料)
↓ (約5分/3km)
9:30〜10:45
ハトシェプスト女王葬祭殿( 入場料 240E£)
↓ (約10分/5km)
11:00〜12:30
王家の谷( 入場料 400E£)
・ラメセス4世の墓
・ツタンカーメンの墓( 入場料 360E£)
・ラメセス5世・6世の墓( 入場料 120E£)
↓ (約15分/7km)
12:45〜13:15
ラメセス3世葬祭殿( 入場料 140E£)
↓ (約40分/25km)
東岸/East bank
14:00着
Nefertiti Hotel Luxor(宿泊先)
NOTE
・火曜に訪問:ハトシェプスト女王葬祭殿、王家の谷は特に混雑
・ツアー料金:$20(宿泊先に併設のツアー代理店(Aladin Tours)で予約)
【世界遺産】王家の谷
岩を掘って作られた岩窟(がんくつ)墓群で、歴代のファラオの墓が集中していることから王家の谷と呼ばれます。
この谷に王墓が建設されるようになったのは新王国時代以降。それまでの王墓の多くは盗掘被害に遭っていたことから、狭い谷に秘密裏に王墓を建設して死後の安住を求めたと考えられています。
岩肌の入口から傾斜した通路が伸び、地下の一番奥に玄室(げんしつ)と呼ばれる石棺を納めるための埋葬室を設置するのが王墓の基本。
王家の谷ではこれまでに60を超える墓が発見され、KV(King Valley)を頭に付けて発掘順に数字が振られています。
その一部が公開されており、チケットを購入すると王墓を3ヶ所選んで入場できるので、自身で興味のあるものをピックアップして見学することになります。
ただし、「ツタンカーメン」と「ラメセス5世・6世」と「セティ1世」の墓については別途入場料が発生します。
ハトシェプスト女王葬祭殿と同じく、チケット売り場 ⇄ 王家の谷はカートに乗って移動しますが、チケットには含まれておらず別途乗車料(20E£)が必要です。
入口に到着すると目に入るのは、エル・クルンと呼ばれるピラミッドのような形をした山。この山の存在が、墓所として好まれた理由ともいわれています。
施設情報
2023年10月時点の情報
※頻繁に値上がるので参考程度に
ラメセス4世の墓
王家の谷
KV2 Ramses IV
KV2なので、2番目に発見された第20王朝のファラオ「ラメセス4世」の墓。
エリアチケットのみ(追加料金なし)で入れてエントランスから近い、かつ保存状態も良いため、ツアーではまずこの場所を全員で見学。その後は各自自由に見学する時間(約30分)がありました。
第20王朝の王墓は直線軸な構造を基本としており、ラメセス4世の墓においても、入口からまっすぐに伸びた通路の先に「玄室」が配置される構造です。
王墓の壁や天井を埋め尽くすように彩るのは、鮮やかな絵画やヒエログリフと呼ばれる象形文字。
これらは単なる装飾ではなく葬送文書に位置付けられ、本来は葬儀の際に唱えるものですが、正しく伝わらない恐れがあることや死者自らも唱えられるようにと墓内に刻まれたそう。
古王国時代にピラミッド内部に刻まれた葬送文書「ピラミッド・テキスト」はテキストのみでしたが、時間の経過とともに形を変えた結果、新王国時代には以下のような複数の書となり、内容も挿絵を織り交ぜた構成へと変化しました。
死者の書
太陽神ラーの讃歌
昼の書と夜の書
アケルの書(大地の書)
アム・ドゥアトの書(冥界の書)
門の書
洞窟の書
これらの書のベースにあるのは「太陽の船に乗って天空を航行する ”太陽神” ラーが、夜になると冥界へ旅立ち、船の運行を邪魔する大蛇(アペプ)と戦いながら冥界を通過し、翌朝に再生する」という物語。
東(生者の世界)から昇り、西(死者の世界)へ沈み、 夜(冥界)を越えて再び東に昇る太陽(ラー)を表現しており、1日のうちに死と再生を繰り返す太陽は不死の象徴であり、古代エジプトの死生観にも大きな影響を与えました。
ラメセス4世の墓の最大の見どころは、 王家の谷で最大の石棺。
死者を埋葬する墓室である「玄室」には石棺が置かれ、ミイラはその中に埋葬されますが、ラメセス4世のミイラが実際に発見されたのはこの石棺からではなく、なぜかKV35から。
KV35は、第18王朝のファラオ「アメンホテプ2世」の墓ですが、第20〜21王朝時代に歴代ファラオのミイラを一斉に管理するようになり、KV35はその管理場所とされたため、ラメセス4世のみならず他のファラオのミイラもこの墓から発見されているのです。
ツタンカーメンの墓
王家の谷
KV62 Tutankhamun
盗掘を防ぐために狭い谷を選んだものの、結果的には王家の谷のほぼすべての王墓が盗掘被害を受けた中で、1922年に未盗掘の状態で発見された第18王朝のファラオ「ツタンカーメン」の墓は、イギリスの考古学者ハワード・カーターによる ”20世紀最大の発見” と称されました。
副葬品である財宝も完全な形で発見され、その中で最も有名な黄金のマスクはカイロのエジプト考古学博物館に展示されています。
ツタンカーメンは8〜9歳頃に即位し、20歳に満たない内に若くして死去した少年王。
在位期間の短さに加え、父であるファラオ「アクエンアテン」の宗教改革が原因で一族の名が歴史から抹消されていたため、その存在が人々にあまり知られず、結果的に盗掘を免れたと考えられています。
前室
入口から階段を降りた先の前室には、ツタンカーメンのミイラが安置されています。
彼が生きたのは紀元前1300年代なので、3,300年以上の年月を超えてその姿を目にしていることを考えると不思議な感覚。
また、ツタンカーメンのミイラと聞いて頭に浮かぶのはファラオの呪いではないでしょうか。
発掘の資金援助をしていたイギリスの貴族「カーナーヴォン卿」が墓を発見した数ヶ月後に急死したことを発端に、ミイラの取り出しに関わった数名とその親族が次々に亡くなったことから囁かれるようになった都市伝説。
実は、墓の入口には「王の眠りを妨げる者には、死の翼が触れるべし」と ”盗掘者への警告” とも取れる言葉が刻まれていたため、彼らの死はこの警告によるものではないかとの発想に至ったそう。
現実的には、墓に溜まっていた有毒なガスやカビが原因と考えた有識者もいたようですが、発掘の最前線にいたハワード・カーターはその後も生きており、カーナーヴォン卿の死因も明らかになっています。
これほどまでに都市伝説が広まった背景には、話題性を重視して話をでっちあげたマスコミの影響によるものが大きかったのです。
玄室
玄室の壁面には ”死と復活の神” オシリスの姿をしたツタンカーメンが描かれ、その向かいで毛皮をまとっているのは、ツタンカーメンが若くして即位したことから摂政となった「アイ」であり、ツタンカーメンの死後には次期ファラオとなった人物。
アイの手に握られているのは手斧。ミイラの口や体のあちこちに触れて感覚を回復させるために行われた口開けの儀式のシーンを描いており、これは葬儀における最も重要な儀式であったとされています。
死者が旅立つ冥界にはいくつもの試練が待ち受けており、そこでは自ら言葉を話す場面が幾度となくあるため、感覚を取り戻しておく必要があったのです。
玄室の中央に置かれた石棺。
この中に、マトリョーシカのように黄金の人型棺が3重に納められ、さらにその中に黄金のマスクを被ったツタンカーメンのミイラが眠っていました。
なぜ古代エジプトではミイラ姿で埋葬されたかというと、死=新しい人生の始まりと捉え、死後の世界で復活して永遠の命を得ることを望んだ当時の死生観に関連しています。
人間の体は、「カー(生命力)」「バー(魂)」「肉体」で構成されており、カーとバーは死後に肉体から離れて天空を舞うとされましたが、復活時にはその3つが再び結び付く必要があったため、肉体が失われないようにミイラとして保存したのです。
また、復活する死後の世界は天国のようなものではなく、あくまで現世と同じような生活ができる場所とされていたため、生活に必要なものが副葬品として一緒に埋葬されました。
ラメセス5世・6世の墓
王家の谷
KV9 Ramses V & VI
第20王朝のファラオ「ラメセス5世」と「ラメセス6世」の墓はツタンカーメンの墓の隣にあり、壁や天井に残された色鮮やかな絵画の美しさから美術的価値が高いことで知られています。
王墓はファラオごとに建設されるのが通常ですが、この墓はラメセス5世のために建設された墓を叔父であるラメセス6世が改造したもの。
2人の治世は短く、また国力が衰えつつある時代にあったため、経済的な理由で墓を共有したと考えられていますが、その割には煌びやかな装飾が随所に見られるため、いまひとつ謎に包まれています。
通路〜前室
照明効果もあり、温かみのある色調の室内は幻想的。
ラメセス4世の墓にも鮮やかな絵画が残されていましたが、こちらの方が天井が高くて奥行きも広く、より豪華絢爛な雰囲気が漂います。
入口から長く続く通路の天井部分は天空を描くように青く塗られ、奥へ奥へと吸い込まれるように進めば、まるで別世界に迷い込んだような感覚に陥るほどで、広がる光景は圧巻の一言です。
一見するとシンプルで簡単な絵に見えますが、セシュ・ケドゥト(輪郭を書く人)と呼ばれる絵師によって描かれていた古代エジプトの壁画。
美しさを求めた装飾ではなく ”死後に復活するための解説書” のような役割があったため、情報を正しく記録して伝える必要があり、また、神に見せる厳かなものでもあることから、次のような絵を描く際のルールが存在していました。
・地位の高い人物ほど大きく描く
・最も小さく描くのは奴隷(子どもではない)
・肩、胸、腕は正面、胴体と足は横向き
・顔は横顔、目は正面
・足は左右を描き分けず、土踏まずを描く場合は両足に描く
・奥行は上下左右にずらして重ねて描く
土踏まずに至るまでルール化するとは驚きですが、これらを無視して創作的に描こうものなら神への冒涜とみなされて死罪になったため、約3,000年もの間、画法がパターン化されて大きく変化することはなかったのです。
玄室(昼の書と夜の書)
天井のドーム部分を利用して目一杯に描かれる昼の書と夜の書は、玄室の最大の見どころ。
反転するように、背中合わせの2人の ”天空の女神” ヌトが表現するのは昼夜の空。昼の空には太陽(赤い丸)が12個、夜の空には多数の星が描かれており、この絵画から古代エジプト人は既に1日を24時間と認識していたことが判明しています。
また、ヌトの体に沿って多数の人々が描かれ、昼の空は右→左へ、夜の空は左→右へと時間が経過しており、夜の書の終わり(写真右下)には色がなくなり、夜が明けて空が白む様子も表現されています。
古代エジプトの神?
「事前に知れば旅をもっと楽しめる!「古代エジプト」とは?「エジプト神話」とは?_#93」をチェックしてみよう!
ヌトの体に沿って描かれる多数の人々の中に見られるのは ”太陽神” ラーの乗る船。
エジプト神話では「地上を統治していたラーは ”穀物の神” オシリスに王位を譲って天空へと去り、太陽の船に乗って天空を旅することで世界に光をもたらした」とされています。
また、ラーは太陽の動きとともに変形するものとされ、夜明けには東の空でスカラベ(フンコロガシ)の姿でヌトから生まれ、日中はハヤブサの姿で天空を航行し、西の空でヌトに吸収されます。
夜には雄羊の姿で地下(冥界)へ旅立ち、船の航行を邪魔する大蛇(アペプ)と戦い、再び東の空でヌトから生まれるという繰り返しで、昼の書と夜の書はそんな1日の様子を描いたもの。
”太陽神” ラーの旅路
古代エジプトにおいてラー(太陽)は、昼の12時間は ”生者の世界”(地上)を、夜の12時間は ”死者の世界”(地下)を船に乗って旅すると考えられていました。
1日の始まりである夜明けの東の空で、ラーはスカラベの姿で ”天空の女神” ヌトから生まれます。(スカラベとはフンコロガシのこと。太陽の動きを ”太陽円盤を転がして進むフンコロガシ” に例えたものと考えられます。)
日中はハヤブサの姿で太陽の船(マンジェト)に乗って天空を航行し、地上に光をもたらします。正午を過ぎると次第に年老いて弱くなり、夕方に西のアケト(地平線)に辿り着いてその先の第1の門を通過するとラーに死が訪れ、地上は夜を迎えます。
門の先はドゥアトと呼ばれる冥界で、ラーは雄羊の姿で太陽の船(メセクテト)に乗り換えて地下のナイル川を航行し、毎時間の終わりに現れる12の門を通過します。(ラーは西の空でヌトに吸収されるという表現もあるため、冥界の通過はヌトの体内を通り抜けることにも例えられます。)
冥界の航行は、ラーの宿敵である ”闇の象徴” 大蛇(アペプ)によって邪魔され、光と闇は毎晩戦いを繰り広げますが、旅をともにする他の神々の力を借りて、最終的に光(ラー)は闇(アペプ)に勝利します。(余談ですが、アペプの奇襲攻撃でラーが負けることもあり、その時とはまさに日食。)
また、航行中には冥界の王である ”死と復活の神” オシリスとも出会い、ひとつになる(オシリスの再生力と一緒になる)ことで、ラーに新たな活力が与えられて死から復活(再生)します。
そして、生まれ変わったラーは再び東の空に現れる(朝が訪れる)のです。
玄室(アケルの書)
玄室の壁一面に見られるのはアケルの書(大地の書)と呼ばれ、 ”太陽神” ラーがアケルを通過する旅を中心に描いたもの。
アケルを通過する=日の出や日の入りを意味しますが、アケルの書で描かれるのは日の出について。太陽円盤創造の書とも呼ばれ、「冥界の旅を終えたラーが光の世界へ脱出するテーマ」や「太陽円盤の創造のテーマ」などいくつかのテーマを元に構成されます。
また、昼の書と夜の書、アケルの書以外にも葬送文書は存在し、どれもラーの冥界の旅路をベースにしており、以下のような内容が描かれています。
死者の書
→約200の呪文で構成され、死者が冥界の旅を成功させて永遠の生命を手に入れるための指南書のようなもの。呪文の中で最も有名なのは、第125章の神々による死者の審判について。死者は自らの言葉で身の潔白を神々に証明しなければならず、この時にどのような言動をとれば良いかが記される。
太陽神ラーの賛歌
→ラーには74の別名と姿があり、冥界を通過しながら様々に変容することを描く。
アム・ドゥアトの書(冥界の書)
→冥界には12の時間があり、そこで遭遇する神々や怪物の情報、冥界の地理などが記される。
門の書
→12の時間の毎時間の終わりに現れる12の門について、そこで遭遇する危険や門を通過するための秘策が記される。「門の書」のみでは説明が不十分なため、「アム・ドゥアトの書」とセットで描かれることが多い。
洞窟の書
→冥界にある6つの洞窟で出会う神聖な神々や、死者が受ける祝福や死者の審判に失敗した者への罰などに焦点を当てて描かれる。「アム・ドゥアトの書」や「門の書」とは異なり、12の時間には分かれておらず、また、絵画が少なくてテキストが多い。
中央の大きな船が冥界の旅でラーが乗るとされる太陽の船(メセクテト)の描写で、複数の神々とともに乗船している様子がわかります。
アム・ドゥアトの書で見られる太陽の船に比べて、門の書で描かれるものは小さめ。
乗組員は ”認識の神” シアと ”魔術の神” ヘカの2名のみで、これらはラーが冥界に旅立つ(死を迎える)時に失うとされる力。ラーに付き添って失った感覚の代わりを務めるとされています。
雄羊姿のラーは ”蛇の神” メヘンに守護され、その右手には生命を意味するアンクが握られています。アンクとはKey of life(生命の鍵)とも呼ばれ、永遠の命を願うお守りのようなもの。
360°ストリートビュー:王家の谷
ラメセス4世の墓
ツタンカーメンの墓
旅に出るならこちらもチェック!快適な旅を実現しませんか?