まず初めに!今回の旅(日本 → エジプト)について
【アスワン】ナイル川での風まかせのファルーカ(帆船)乗船もおすすめ!誇り高きヌビア人の住む街_#84
【移動】ギザ → カイロ
ギザ(Giza)
The Gate Hotel Pyramids(宿泊先)
↓ Uber(約30分/165E£)
カイロ(Cairo)
Hathor House(宿泊先)
NOTE
・宿泊先は「Booking.com」にて予約
カイロのベストシーズンは?
Best!:3月〜4月、10月〜11月
Good:9月〜5月
今回の旅(2023年10月)= ベストシーズン!
<ざっくりと言えば...>
日差しが強いのでそれなりに暑いですが、湿度が低いので日陰に入れば比較的過ごしやすい気候。
ただし、日が暮れると肌寒くなるので上着は必須です。
<10月のカイロ>
平均最高気温:29℃
平均最低気温:18℃
降水量:約0mm
<10月の東京>
平均最高気温:22℃
平均最低気温:14℃
降水量:約160mm
地下鉄(メトロ)の乗り方 in カイロ
1987年に開通したアフリカ大陸最初の地下鉄。
1号線(青)・2号線(赤)・3号線(緑)の3路線のみでシンプルな構造なので、カイロを初めて訪れる観光客も十分に使いこなせるレベルです。
1号線・2号線
Sadat → タハリール広場、エジプト考古学博物館
Al-Shohadaa → カイロ駅(国鉄)
1号線
Mar Girgis → オールド・カイロ
2号線
Giza → 三大ピラミッド
Opera → カイロ・タワー
運賃は距離によって変わりますが、街の中心の駅(Sadat)から各観光スポットへは5〜7E£で乗車でき、運行本数も比較的多く、数分待てば次の列車が到着するのでかなり便利。
交通量がおびただしいカイロの街。エジプトでは金・土が週末で、特に土曜日は渋滞に巻き込まれて動けなくなることもあるので、地下鉄を上手く取り入れつつ観光するのがおすすめ。
ちなみに、駅に券売機はなくカードも使えないので、地下鉄に乗る際には現金を用意する必要があります。
地下鉄の乗り方も簡単!
Sadat駅の構内を紹介します
カイロ
人が多く、交通量も多い割になぜか信号が少ないカイロの街。
運転マナーの悪さとエジプト人の短気な性格も相まって、車のクラクションが夜中まで鳴り響き、人で溢れかえる街の様子はまるで ”混沌(カオス)” と表現されるほどで、街中に宿泊するならば耳栓は必須です。
鳴らしすぎた結果、クラクションを使ったランゲージが生まれたため、もはやコミュニケーションまで取れる始末。何を意味しているかは分かりませんが、よく聞いているとリズミカルな音が聞こえてきます。
カイロ・タワー
エジプト国花のロータスをかたどった高さ187mのタワー。
ロータスは古代エジプトより人々に愛され、上エジプト(カイロ〜アスワンあたり)の象徴とされた花。朝方に開花し、夕方に花を閉じ、翌朝に再び開花することから ”再生・復活の象徴” とされ、また、日の出とともに開花することから ”太陽神” とも結び付いて神聖視されたそ う。
カイロ・タワーは1961年に完成。1971年に南アフリカ(ヨハネスブルグ)のヒルブロウ・タワーに抜かれるまでの10年間は、 ”アフリカで最も高いタワー” とされていました。
頂上の展望台からはカイロの眺望を360度楽しめ、よく晴れた日にはギザの三大ピラミッドも見渡せます。
人気の観光スポットではありますが、オペレーションに難ありなので要注意!
展望台に登るエレベーターが少ないため、まずはエレベーターに乗るための待ち時間が発生します。(チケットに記載の番号が呼ばれたら乗れるシステムです)
最初のエレベーターに乗るまでにも時間がかかりますが、展望台へはエレベーターを乗り継ぐ必要があるのでそこでも待たされ、もちろん展望台から降りる際にも同様に待たされます。
とにかく、待たされるのがカイロ・タワー。
今回は週末(金曜日)に訪れたのでチケット売り場から激混みで、購入するための時間も含めると、戻ってくるまでにざっと3時間。その大半は待ち時間なので、まずはそこまでして登りたいか考えることをおすすめします。
また、効率的にエレベーターを稼働させるためなのか、1人で訪れる場合は頂上の展望台に登ることはできず、下階のレストランまでの入場になるため、ひとり旅の方は注意が必要です。
施設情報
2023年10月時点の情報
※頻繁に値上がるので参考程度に
移動方法
Hathor House(宿泊先)
↓ 徒歩(2km/約30分)
カイロ・タワー
NOTE
・17:00頃(金曜)に訪問:大混雑
・ナイル川に架かる「Qasr El Nil Bridge」からは、ナイル川とカイロ・タワーが一望できます
【世界遺産】カイロ歴史地区
”カイロ発祥の地” とされるカイロ歴史地区は、オールド・カイロ(キリスト教地区)と旧市街(イスラム教地区)に分かれており、600以上のモスクとそれに付属する1,000以上のミナレット(尖塔)がそびえる景観から ”千の塔の都” とも呼ばれます。
この周辺にはキリスト教から分派したコプト教徒が多く住んでおり、また、ギリシャ正教会やユダヤ教のシナゴーグ(会堂)、ローマ時代の建造物であるバビロン城なども残され、多くの宗教文化が混在するユニークな地域でもあります。
正式名称:カイロ歴史地区
登録年/種別:1979年/文化遺産
7世紀
イスラム勢力がアフリカ大陸に進出。イスラムの将軍「アムル・イブン・アルアース」がエジプトを征服し、支配の拠点としてミスル・アル・フスタート(軍営都市)を築く。これがカイロの原型とされる。 #アムル・モスク
10世紀
ファーティマ朝(969〜1171年)がエジプトを征服し、フスタートの北側に新都ミスル・アル・カーヒラを築く。ちなみにカイロとは ”カーヒラ” の英語読み。 #アズハル・モスク
12世紀
後継者がいないままカリフ(最高権威者)が病死したため、ファーティマ朝は滅亡し、アイユーブ朝(1169〜1250年)が成立。アイユーブ朝の創始者「サラーフ・アッディーン」によって建設されたシタデル(城塞)は、19世紀までの約700年間、政治の中心地とされた。 #シタデル
13世紀
アイユーブ朝の軍事力であったマムルーク(奴隷出身の軍人)が、クーデターによって権力を握り、マムルーク朝(1250〜1517年)が成立。カイロは交易によって国際的な商業都市として繁栄して世界でも最大のイスラム都市になり、多くのモスクやミナレットが建設される。 #ハーン・ハリーリ
16世紀
オスマン帝国のスルタン(皇帝)「セリム1世」によりマムルーク朝は滅亡し、オスマン朝(1517〜1914年)が支配。シタデル敷地内の建造物は王朝が変わる度に再建され、現在も残る建造物の多くは、おもにオスマン朝時代に建設されたもの。
19世紀
フランスの皇帝「ナポレオン」のエジプト遠征時に、オスマン帝国が派遣したアルバニア系の軍人「ムハンマド・アリー」が混乱を制し、ムハンマド・アリー朝(1805〜1953年)が成立。後にカイロ新市街を築き、シタデル周辺(カイロ歴史地区)は旧市街となる。 #ムハンマドアリー・モスク
オールド・カイロ
Hathor House(宿泊先)
↓ 徒歩(約5分)
Sadat駅
↓ メトロ(約15分/5E£)
Mar Girgis駅
↓
バビロン城
↓
コプト博物館( チケット 150E£)
↓
聖ゲオルギオス教会
↓
聖セルギウス教会
↓
アムル・モスク
NOTE
・見どころはすべて「Mar Girgis駅」の徒歩圏内
バビロン城
コプト博物館
コプト教とは、エジプトを中心に発展したキリスト教会の流れを汲む一派。
7世紀にイスラム勢力がエジプトを征服してイスラム化して以来、コプト教徒は大都市を離れてナイル川上流の僻地などに住み、小さな集団を作って独自のキリスト教文化を形成しました。
その結果として、時代に流されることなく発展したのがコプト美術で、博物館には建築・壁画・彫刻・染織り(コプト織り)など、重要なコプト美術が保管されています。
現在エジプトは人口の約9割がイスラム教徒で、コプト教徒は約1割の少数派。エジプトには信仰の自由があるはずですが、コプト教徒はイスラム過激派からの迫害やテロの標的になっていることも事実です。
施設情報
2023年10月時点の情報
※頻繁に値上がるので参考程度に
聖ゲオルギオス教会/マリ・ギルギス教会
聖セルギウス教会/アブ・セルガ教会
洞窟教会(Cavern Church)とも呼ばれるコプト教会。
その名前の由来は、ユダヤ王国の「ヘロデ王」の迫害から逃れてきた幼き日のイエス・キリスト、母マリア、養父ヨセフが滞在した洞窟の上に教会が建てられているから。
新約聖書によると、イエスはヘロデ王の時代にベツレヘム(パレスチナ)で生まれ、占星術博士たちから「ユダヤの王となる子が生まれた」と聞かされたヘロデ王は自身の地位が脅かされることを恐れ、ベツレヘム周辺の幼い男児を一人残らず殺してしまいます。
一方で、ヨセフは夢に現れた天使から「エジプトに逃れなさい」と告げられて、イエスとマリアとともにエジプトに向かったため難を逃れたのですが、その際に滞在した場所こそがこの洞窟とされているのです。
アムル・モスク
アフリカ大陸において最古のイスラム寺院。
7世紀にエジプトを征服したイスラムの将軍「アムル・イブン・アルアース」が、支配拠点として築いたフスタート(軍営都市)の中心に建設されたモスクであり、まさに ”カイロの始まり” とされる地。
また、モスクはアラビア語でガーマと呼ぶため、ガーマ・アムルとも呼ばれます。
モスク内で一際目立つのは、豪華な装飾が施されたキブラ壁。
キブラとはイスラム教の聖地メッカにあるカアバ(イスラムの聖殿)の方向のこと。壁の窪みはミフラーブと呼ばれ、メッカの方向を示すためにモスクに設置されるもので、人々はここに向かって礼拝を行います。
イスラム教では1日5回の礼拝が義務付けられていますが、毎回モスクに出向く必要はなく、どこで礼拝を行っても構いません。実際に今回の旅でも列車の中で礼拝する人を見かけたり、ギザの砂漠で礼拝するラクダ使いのおじさんもいました。
ただし、金曜正午の礼拝については、成年男性はモスクで集団礼拝を行うというルールがあるようなので、モスクは大変混雑します。
イスラム地区
Hathor House(宿泊先)
↓ Uber(約15分/55E£)
シタデル( チケット 300E£)
↓ 徒歩すぐ
ムハンマドアリー・モスク
↓ Uber(約30分/55E£)
アズハル・モスク
↓ 徒歩すぐ
ハーン・ハリーリ(バザール)
NOTE
・午後(土曜)に訪問:カイロ周辺は大渋滞
シタデル
12世紀にエジプトを支配したアイユーブ朝の創始者「サラーフ・アッディーン」が建設した城塞で、19世紀までの約700年間、政治の中心地とされた場所。
高さ10m、厚さ3mの城壁の内側には、オスマン朝時代に建てられたモスクや博物館があり、また、軍事拠点として見晴らしの良い丘に建てられているため、現在では ”カイロを一望できる絶景スポット” として人気があります。
ムハンマドアリー・モスク
エジプト最後の王朝であるムハンマド・アリー朝の創始者「ムハンマド・アリー」は、フランスの皇帝「ナポレオン」の侵略からエジプトを救い、エジプトの近代化に貢献したとして名高い人物。
27年の歳月をかけて1857年に完成したモスクは、イスタンブール(トルコ)にあるアヤソフィアを真似ていることから、複数のドームと鉛筆形の2本のミナレット(塔)を持ち、エジプトのモスクにはほぼ見られない建築様式が特徴です。
モスクの中庭から見える時計台は、フランス国王「ルイ・フィリップ1世」からムハンマド・アリーに贈られたもの。
エジプトがフランスに贈ったルクソール神殿のオベリスクのお礼とされており、そのオベリスクは現在、パリのコンコルド広場で見ることができます。
施設情報
2023年10月時点の情報
※頻繁に値上がるので参考程度に
アズハル・モスク
ファーティマ朝時代の970年に建設され、972年にはイスラム神学・法学を研究するための施設であるマドラサ(アズハル学院)が置かれたモスク。
アズハル学院は、現在もカイロでアズハル大学として継続しており、イスラム神学・法学の最高権威かつ ”世界最古の大学” として知られています。
礼拝後のモスクには、昼寝中の方がちらほら。
10月下旬のカイロは気温がそこまで上がらず、空気もカラッとして日陰は過ごしやすい気候。ふかふかの絨毯も寝心地が良さげなので、このまま次の礼拝まで休憩するのでしょう。
ハーン・ハリーリ(バザール)
14世紀末、マムルーク朝のスルタン(最高権力者)「バルクーク」の時代に開かれ、19世紀初めに12のバザールがひとつになった巨大なバザール。
イスラム教徒以外は立ち入ることができないとされる由緒あるアル・フセイン・モスクの西側一帯に広がり、いくつも入り組んだ路地はまるで迷路のよう。
宝石類やアンティーク、民族衣装や工芸品などが所狭しと並べられており、掘り出し物を探して歩くのもなかなか楽しいもの。バザールに ”定価” はないので、価格はあなたの交渉次第!
「エジプト人はウザい」は本当?
10日間のエジプト旅も気付けばもう終盤。
実際にエジプトを訪れた人の感想として多いのは、「エジプト人はウザい」というものですが、そんな風に感じてしまう理由は一体どこにあるか?エジプトの文化に触れた結果、こんなことを考えました。
①エジプト人は、すぐ怒る。
気に入らないことがあるとまるで子どものように怒り出すので、大人同士の怒鳴り合いを目にすることも珍しくありません。
とにかく短気なので、例えば運転中はクラクションなんかもすぐに鳴らす傾向にあります。クラクションの騒音問題は、そんな性格が災いしているように思います。
②エジプト人は、嘘をつく。
悪びれもなく、すぐにバレるような嘘をつきます。
今回の旅でも観光スポットへ向かう途中に話しかけられ、「今日は政府主催の祭典があって14時まで観光客は入れないから、すぐそこのスーク(市場)に寄ってかない?」と。もちろんそんな祭典はありません。
また、空港でUberを待っていると「そのUberドライバーは俺だ」と言い張る人が現れたことも。アプリの顔写真を見ると、整形が必要なクラスの別人でした。
③エジプト人は、バクシーシを要求する。
恐らく、エジプトで最もトラブルになり得るのは ”バクシーシ” にまつわること。
イスラム教には、富める者が貧しい者に施しを与えるザカート(喜捨)という考え方があるのですが、バクシーシはそれが歪曲したもので、貧しい者が富める者にせびるというもの。ありがたく頂くのではなく、「もらって当然」という感覚が根底にあります。
チップ(tip)のような概念として、何かのサービスを受けた後に料金にプラスして高額なバクシーシを求められることもあります。(例えば、タクシーの乗車、ギザのピラミッドでのキャメルライドなど)
確かに、エジプト人はウザいかと聞かれるとその点は否めません。ただし、ウザいのは一部の人であって、親切な人もたくさんいることはお伝えしておきます。
とりあえず一筋縄ではいかないのがエジプトなので、ある程度快適な旅をするためには、バクシーシに注意しつつ、自分を強く持ち、時には「No」とはっきり意思表示することが必要です。
古代エジプト人が崇拝した神々や、独自の死生観。高度な技術によって作り上げた巨大建造物や、煌びやかな装飾品。
遥かなる時を超えた古代エジプトの歴史にはロマンがあり、一見の価値があります。
やっぱりエジプトはエキゾチックで魅力的な国。「たとえウザかろうとも ”人生に一度は訪れるべき場所” であることは間違いない。」それが、エジプトを旅した素直な感想です。
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