【アブ・シンベル神殿】エジプト最南端の観光スポット!水没危機から世界遺産が生まれるきっかけを作った遺跡_#85

投稿日:

 

【移動】アスワン → アブ・シンベル

アスワン(Aswan)
 4:00発
 エレファンティネ島行き 乗船場(市内)

  ↓  乗合バス(3時間30分/往復 $45)

アブ・シンベル(Abu Simbel)
 7:30〜9:30
 アブ・シンベル神殿 入場料 415E£)

  ↓  乗合バス(3時間30分)

アスワン(Aswan)
 13:00着
 エレファンティネ島行き 乗船場(市内)


NOTE
・乗合バス(往復)は宿泊先を通して予約
・土曜に訪問:大混雑 (8:00頃まではツアー客がおらず混雑なし  )

アブ・シンベルのベストシーズンは?

Best!:12〜2月
Good:11〜3月

気候の詳細をチェック

今回の旅(2023年10月)= オフシーズン

<ざっくりと言えば...>
日差しがジリジリと暑い時期!
屋外観光には水と帽子が必須ですが、湿度は低いので日陰に入れば比較的過ごしやすい気候です。

<10月のアブ・シンベル>
  平均最高気温:37℃
  平均最低気温:19℃
  降水量:約0mm

<10月の東京>
  平均最高気温:22℃
  平均最低気温:14℃
  降水量:約160mm

【世界遺産】アブ・シンベル神殿

世界遺産情報

正式名称:アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群
登録年/種別:1979年/文化遺産

アブ・シンベル神殿は、隣国スーダンとの国境近くにあるエジプト最南端の観光スポットで、1813年に砂に埋もれていたところをスイスの東洋学者によって発見された遺跡。

砂岩でできた岩山を掘って作られた岩窟(がんくつ)神殿で、紀元前1300年頃に第19王朝のファラオ「ラメセス2世」によって建設されました。

MEMO

ファラオ(Pharaoh)とは?
→古代エジプトの王を指す称号。 厳密には、新王国時代にあたる第18王朝時代に使用され始めた称号であるが、現代ではそれ以前の王に対しても使用される。ファラオは現人神(あらひとがみ)であり、神と人々の仲介者と位置付けられていた。

アブ・シンベル神殿の模型 @ヌビア博物館

神殿は現在、アスワン・ハイ・ダムの建設によってできた人造湖であるナセル湖のほとりにありますが、元々位置していたのは湖の底。1960年代に当ダムの建設計画により水没の危機に晒され、1968年にユネスコによって現在地に移転されました。

その移転方法は、神殿をブロック状に分割して約60m上方の丘へ移動させて順番に組み立てるというもので、約4年がかりの大規模工事。

ちなみにこの工事がきっかけとなり、歴史的価値のある遺跡や自然等を国際的な組織運営で開発から保護する「世界遺産条約(1972年)」が成立したため、 ”世界遺産が生まれるきっかけを作った遺跡” といっても過言ではありません。

エントランスから続く下り坂と穏やかなナセル湖。この道の先に神殿が待っています。

大神殿

エジプト神話に登場する ”太陽神” ラーを祀る大神殿。

農耕や狩猟に依存した古代の生活に太陽は大きな影響を及ぼしたため、古くから太陽崇拝が行われていました。日本で言うところの ”八百万の神” のごとく、古代エジプトにも多数の神々が存在しましたが、その中でも、ラーは広く信仰を集めた最も重要な神です。

大神殿の正面には、アブ・シンベル神殿の象徴でもある、高さ約20mを誇るラメセス2世の巨像(4体)が鎮座。左から2体目は地震によって崩れてしまい、頭部がその足元に転がっています。

神殿入口

至近距離で見上げるとその大きさに圧倒されるほど。ちなみに足元に置かれている小さな像は、王妃と子どもたち。

ラメセス2世は多くの業績と建造物を残した ”古代エジプト史上最も偉大な王” として知られ、24歳で即位、66年もの間エジプトを統治し、90歳で大往生した人物です。

35歳程度であった当時の平均寿命において、90歳まで生きたことがまず驚きですが、さらにその生涯で複数の王妃や側室との間に設けた子どもの数は、優に100人を超えていたそうです。

また、彼が統治していた新王国時代に首都があったテーベ(現在のルクソール)のカルナック神殿ルクソール神殿にも同じように巨像を残しており、自己顕示欲が強かったことでも知られています。

巨像の足下付近(大神殿入口部分)に刻まれているのは、上下エジプト統一を表現したレリーフ

ナイル川上流(アスワン〜カイロあたり)の上エジプトと、下流(カイロ〜アレクサンドリアあたり)の下エジプトの2つの国家に分かれていた先王朝時代のエジプト。紀元前3100年頃にこの2つが統一されてエジプト王朝が成立し、古代エジプトの歴史は始まりました。

このことからレリーフでは、ロータス(上エジプトの象徴)パピルス(下エジプトの象徴)を結び合わせる様子が描かれています。

ラメセス2世が君臨した新王国時代は ”古代エジプトの最盛期” であり、最大の領土を有した時代。首都(テーベ)からアスワンを越えて、さらに約300kmも南下したこのヌビアの地まで支配が及んでいたことを示すレリーフです。

4体の巨像の上に1列に並べられているのは、太陽を礼拝するマントヒヒ。古代エジプトでは ”神の使い” として崇拝された動物で、そのことからも英語では Sacred Baboon(神聖なヒヒ)と呼ばれます。

ちなみにこの内の1体は、アスワンのヌビア博物館に保管されており、間近で鑑賞できます。

マントヒヒ像 @ヌビア博物館

列柱室

大神殿の入口から広がる大列柱室には、エジプト神話上の ”死と復活の神” オシリスの姿をしたラメセス2世の巨像(約10m)が、向かい合うように8体並んでいます。

上下エジプトの王権の象徴である「ヘカ」と「ネケク」を手に持ち、胸の前で交差させた姿で表現されていますが、これはオシリス神のポーズと呼ばれ、死者を表すポーズとされています。

古代エジプトにおいて最も信仰を集めた ”太陽神” ラーと並び、重要な神として人々に信仰されたオシリスですが、それは「オシリスの力を借りることで死後の世界で復活して永遠の命を得ることができる」と考えた古代エジプト人の死生観が関連しています。

大列柱室の壁面には、ラメセス2世の功績を描いたレリーフが所狭しに施されています。

特に有名なのは、カデシュの戦いで弓矢を構えるラメセス2世の勇敢な姿を描いたレリーフ。

紀元前1286年頃、交易の要とされたカデシュ(現在のシリア西部)の地で、ラメセス2世とヒッタイト王国の王「ムワタリ2世」がシリアの所有権を巡って戦ったのがカデシュの戦いです。

結果的に勝敗は決まらずに引き分けで終わり、エジプトとヒッタイトの間では平和同盟条約が締結されたのですが、この条約は ”世界最古の国際条約” とされています。

MEMO

ヒッタイト(Hittites)とは?
→紀元前16世紀にアナトリア(現在のトルコあたり)のハットゥシャを中心に王国を築き、14世紀に最盛期を迎え、12世紀に深刻な食糧難や ”海の民” の襲来によって滅亡した。また、史上初めて鉄製武器を使用した武力に優れた民族として知られる。

至聖所

右から、ラー・ホルアクティ、ラメセス2世、アメン・ラー、プタハ

至聖所(しせいじょ)とは神殿の一番奥にあり、神像を安置するための最も神聖な場所。

ここには4体の像が置かれていますが、実は年に2回のみ入口から一直線に朝日が届き、地下(冥界)に住むとされる ”冥界の神” プタハを除く3体に光が照らされるよう設計されています。

その太陽光のエネルギーによってファラオであるラメセス2世の力は強化され、太陽神(アメン・ラーやラー・ホルアクティ)に並ぶ力を得るものと信じられていました。

MEMO

ラー・ホルアクティ(Ra-Harakhti)とは?
→ ”太陽神” ラーと ”天空の神” ホルスの習合

アメン・ラー(Amen-Ra)とは?
→ ”テーベの守護神” アメンと ”太陽神” ラーの習合

ちなみに、年2回とは2月22日と10月22日で、それぞれラメセス2世の誕生日と即位日であったと考えられています。

入口から至聖所までは約60mの距離があり、特定の日に特定の場所に光を届けるためには緻密な計算が必要であったことは言うまでもありません。それを今から3,000年以上も前に実現させていた古代エジプトの技術の高さには脱帽です。

小神殿

エジプト神話に登場する ”愛と美の女神” ハトホルを祀る神殿。

ラメセス2世の最初の妻「ネフェルタリ」のために建設されたものであり、正面にはラメセス2世(4体)とネフェルタリ(2体)の巨像が並べられています。

そもそも、王妃に神殿が贈られることもファラオと対等の像が作成されることも当時は稀であったため、ネフェルタリはラメセス2世にとって特別な存在であったのです。

ちなみに、ネフェルタリの名前には美しい人という意味があり、アクエンアテン(第18王朝のファラオ)の妻「ネフェルティティ」、プトレマイオス朝のファラオ「クレオパトラ」と並ぶ ”古代エジプトの3大美女” のひとりとされています。

”太陽神” ラーの娘であり、頭に生えた雌牛の角の間に太陽の円盤を乗せて描かれるハトホル。その名前はホルスの家を意味し、 ”天空の神” ホルスの母として知られています。

また、ホルスはファラオと同一視されており、ファラオの母であるとも言えることから、ハトホルは ”母性の神” として出産に立ち会って母と子を守護するとされ、古代エジプト女性から高い人気がありました。

このことから、雌牛が子牛を守ろうとする母性本能と重ねて、ハトホルには雌牛の特徴が取り入れられたと考えられています。

ハトホルは雌牛の耳を持つ姿で描かれることもあり、その際の髪型は他の女神には見られないボリューミーな巻き髪スタイル。

また、頭上にはシストラムと呼ばれる女神が使用する楽器が乗せられており、これは神楽鈴(かぐらすず)のようなものとされています。

ネフェルタリの戴冠式で、古代エジプトの女神ハトホルとイシスが祝福するシーンを描いたレリーフ。

女性たちの手には生命を意味するアンクが握られており、これはKey of life(生命の鍵)とも呼ばれ、永遠の命を願うお守りのようなもの。オリジナルの十字架ともいわれ、神殿などのレリーフにおいて神やファラオなどの重要人物の手元によく描かれます。

これは、死=新しい人生の始まりと捉え、死後の世界で復活して永遠の命を得ることを望んだ古代エジプト人の死生観に関連しており、また、 ”死と復活の神” オシリスの力を借りることで復活できるものと信じられていました。

復活とは輪廻転生のような形ではなく、あくまで現世の自分の姿のまま永遠に生きるというもの。そのため、復活時には自分の体そのものが必要になるので、古代エジプトではミイラ作りが盛んに行われていたのです。

施設情報

2023年10月時点の情報
※頻繁に値上がるので参考程度に

  360°ストリートビュー:アブ・シンベル神殿

旅に出るならこちらもチェック!快適な旅を実現しませんか?







-エジプト

投稿日:

Copyright© yuutravelblog , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.