まず初めに!今回の旅(日本 → エジプト)について
【アスワン】ナイル川での風まかせのファルーカ(帆船)乗船もおすすめ!誇り高きヌビア人の住む街_#84
カイロ
人が多く、交通量も多い割になぜか信号が少ないカイロの街。
運転マナーの悪さとエジプト人の短気な性格も相まって、車のクラクションが夜中まで鳴り響き、人で溢れかえる街の様子はまるで ”混沌(カオス)” と表現されるほどで、街中に宿泊するならば耳栓は必須です。
鳴らしすぎた結果、クラクションを使ったランゲージが生まれたため、もはやコミュニケーションまで取れる始末。何を意味しているかは分かりませんが、よく聞いているとリズミカルな音が聞こえてきます。
カイロのベストシーズンは?
Best!:3月〜4月、10月〜11月
Good:9月〜5月
今回の旅(2023年10月)= ベストシーズン!
<ざっくりと言えば...>
日差しが強いのでそれなりに暑いですが、湿度が低いので日陰に入れば比較的過ごしやすい気候。
ただし、日が暮れると肌寒くなるので上着は必須です。
<10月のカイロ>
平均最高気温:29℃
平均最低気温:18℃
降水量:約0mm
<10月の東京>
平均最高気温:22℃
平均最低気温:14℃
降水量:約160mm
エジプト考古学博物館
1835年にエジプト政府によって設立された博物館。
先史時代〜古代ギリシャ・ローマ時代まで、約20万点ものコレクションが保管されており、古代エジプトのファラオ像なども数多く見られます。
その中で最も有名なものといえば、ツタンカーメンの黄金マスク。他にも、ツタンカーメンの王墓から発掘された副葬品は多く展示されており、その展示エリアは広範囲に渡ります。
博物館にはエジプト各地での発掘品が展示されているので、古代エジプトの遺跡を一通り観光して、旅の最後に訪れるのがおすすめ。発掘された場所をイメージしやすくなるので、より楽しめるはず!
博物館に入ったら、左回りに見学していくのがおすすめです。
Ground Floor(1F)は「時代別」に展示されており、入口から左(時計回り)に進むと古代エジプトの古王国時代から順に見て回ることができます。
Upper Floor(2F)は「テーマ別」に展示されているので、どこから始めても問題ありません。そして、入口から一番遠い2F奥の部屋には、黄金マスクをはじめとするツタンカーメンのギャラリーがあります。
古王国時代?
「事前に知れば旅をもっと楽しめる!「古代エジプト」とは?「エジプト神話」とは?_#93」をチェックしてみよう!
古王国時代
クフ/カフラー/メンカウラー王の像 ギザ
フロア:Ground Floor(1F)
部屋:Gallery 37
名称:Statue of Khufu
第4王朝のファラオ「クフ」は、エジプトの象徴であるギザの三大ピラミッドの一番大きなピラミッド(大ピラミッド)を建設した人物。
わずか約7.5cmの小さな像は、1903年にイギリスの考古学者「ウィリアム・フリンダース・ペトリー卿」によって発見されたもの。
下エジプト(カイロ〜アレクサンドリアあたり)王の象徴であるデジェレトと呼ばれる冠を被り、右手には農耕が盛んだった下エジプトを象徴するネケクと呼ばれる脱穀用の打ち棒を握っています。
巨大なピラミッドを建設したことで有名なファラオではありますが、彼の治世に関する記録などはあまり残されておらず、この小さな像も唯一現存するクフ王の像とされています。
フロア:Ground Floor(1F)
部屋:Gallery 42
名称:Statue of Khafre
クフ王の息子である第4王朝のファラオ「カフラー」は、三大ピラミッドの中央のピラミッド(カフラー王のピラミッド)を建設した人物。
1860年にフランスの考古学者「オーギュスト・マリエット」によって、カフラー王のピラミッドに付属するカフラー王の河岸神殿で発掘された23体の像のうちの1つ。ちなみに河岸神殿には、この座像を設置していたとみられる23個の窪みが一定間隔に残されています。
ウラエウス(コブラ)の付いたネメス頭巾を被り、(この角度からは見えませんが)頭巾の後ろ側には ”天空の神” ホルスの象徴であるハヤブサがカフラー王を守るように羽を広げています。
フロア:Ground Floor(1F)
部屋:Gallery 42
名称:Menkaure Triad
カフラー王の息子である第4王朝のファラオ「メンカウラー」は、三大ピラミッドの一番小さなピラミッド(メンカウラー王のピラミッド)を建設した人物。
”愛と美の女神” ハトホルと第7ノモスの守護女神バトの間で、上エジプト(アスワン〜カイロあたり)王の象徴であるヘジェドと呼ばれる冠を被ったメンカウラー王。
ひとつの石から彫り出されたもので、1908年にアメリカの考古学者「ジョージ・レイズナー」によって、メンカウラー王のピラミッドで発掘されました。
ノモス(nomos)とは?
→現代の ”州” に相当する行政的な地域単位。古代エジプトには、ナイル川の流域に42(上エジプトに22、下エジプトに20)のノモスが存在した。
ジョセル王の像 サッカーラ
フロア:Ground Floor(1F)
部屋:Gallery 46
名称:Statue of Djoser
第3王朝のファラオ「ジョセル」は、 ”エジプト最古のピラミッド” として知られる階段ピラミッドを建設した人物。
1924年〜25年にかけてのエジプト考古学局の発掘中に、階段ピラミッドのセルダブ(王の彫像を安置するための密室)内で発見されたエジプト最古の等身大像。そのため、セルダブ内には現在、石膏のレプリカが置かれています。
背後に見られる青緑のタイルはピラミッド内部に装飾されていたもので、 ”原初の海” ヌンをイメージしたもの。
エジプト神話では「世界の始まりは原初の海に満たされており、そこから原初の丘が現れた」と表現されていますが、これはナイル川の氾濫と水が引いた後に現れる土地の様子から想像したものと考えられています。
パピルス「死者の書」 サッカーラ
フロア:Upper Floor(2F)
部屋:Gallery 29
名称:Book of the Dead for the Priest of Bastet, Djoser
”冥界の神” オシリスの裁判における ”心臓の計量” シーンを描いた葬送用パピルス。
バステトの司祭「ジョセル」のものとされており、同じ名前でややこしいですが、階段ピラミッドを建設したファラオ「ジョセル」のものではありません。
死=新しい人生の始まりと捉え、死後の世界で復活して永遠の命を得ることを望んだのが古代エジプト人の死生観。また、オシリスの力を借りることで復活できるものと信じられていました。
そして、心臓の計量とは、知性と感情の中心とされる「死者の心臓」と、 ”秩序を維持する女神” マアトの頭に乗せられた真実の象徴である「マアトの羽」の重さを天秤で量る儀式。
天秤が釣り合えばオシリスは死者に永遠の命を与え、(心臓の方が重く)釣り合わなければ、怪物アムットに心臓を食べられてしまい、死者は永遠に死に至るというものです。
中王国時代
「黒いピラミッド」のキャップストーン ダフシュール
フロア:Ground Floor(1F)
部屋:Gallery 33
名称:Pyramidion of the pyramid of Amenemhat III
第12王朝のファラオ「アメンエムハト3世」によって建設された黒いピラミッドの頂上に乗せられていたベンベン石。
ベンベンとはエジプト神話における ”原初の丘” のことで、 ”創造の神” アトゥムが最初に降り立ったとされる世界の始まりの地。
その丘を模して作成した四角錐の石をベンベン石と呼び、さらにピラミッドの頂上に置かれるベンベン石はベンベネトと呼ばれます。
新王国時代(1F)
ハトシェプスト女王のオシリス柱頭部/スフィンクス ルクソール
フロア:Ground Floor(1F)
部屋:Gallery 11
名称:Head of Queen Hatshepsut
ルクソールにあるハトシェプスト女王葬祭殿の第3テラスに並べられたオシリス列柱の頭部で、24体あったうちの1つ。
第18王朝のファラオ「ハトシェプスト」は、約3,000年続いた古代エジプトにおいて数名のみ存在した女性ファラオのひとりであり、公的な場では男装をしていたことで知られています。
古代エジプトでは、男性はオレンジ色の顔料でできた化粧品を日常的に塗っており、赤褐色の肌は男性の象徴であったことから、この彫刻は ”男装したハトシェプスト” を表現していることがわかります。
フロア:Ground Floor(1F)
部屋:Gallery 6
名称:Sphinx of Hatshepsut
ハトシェプスト女王葬祭殿の入口に、対になって置かれていたスフィンクス。
女王の死後、息子である第18王朝のファラオ「トトメス3世」によって取り壊されて採石場に捨てられてしまいましたが、1920年代に発掘、復元されたもの。
実は、トトメス3世はハトシェプストの夫であるトトメス2世の庶子。ハトシェプストとの血の繋がりがなかったため、自身の王位継承の正当性を強調すべくハトシェプストの功績を消したものと考えられています。
ちなみにもう片方のスフィンクスは、ニューヨークのメトロポリタン美術館に保管されています。
ラメセス2世(幼少期)の像 タニス
フロア:Ground Floor(1F)
部屋:Gallery 10
名称:Statue of Ramesses II as a child protected by the God Horun
第19王朝のファラオ「ラメセス2世」は、 ”古代エジプト史上最も偉大な王” として知られる人物。
24歳で即位、66年もの間エジプトを統治し、35歳程度であった古代エジプトの平均寿命において90歳で大往生。さらに、残した子どもの数は優に100人を超えていたそうで、もはや規格外な人物であったことがわかります。
この像で表現されているのは、ハヤブサに守護される幼少期のラメセス2世。
古代エジプトでハヤブサといえば ”天空の神” ホルスですが、このハヤブサはハウロンと呼ばれる ”悪魔祓いの神” であり、カナン(現在のシリア・パレスチナあたり)で信仰されていたものが、中王国〜新王国時代にエジプトに伝わったと考えられています。
アクエンアテン王の棺 ルクソール
フロア:Ground Floor(1F)
部屋:Gallery 3
名称:Coffin of Akhenaten
ツタンカーメンの父親である第18王朝のファラオ「アクエンアテン」の棺で、ルクソールにある王家の谷で発見されたもの。
アクエンアテンは、「エジプト古来の神々への崇拝を禁止し、 ”太陽神” アテンを唯一の神とする」という宗教改革(アマルナ改革)を行い、多神崇拝から一神崇拝への改宗を国民に求めたことで知られる人物。
また、彼は元々「アメンホテプ4世」と名乗っていましたが、この宗教改革後に ”アテン神に仕える者” という意味のアクエンアテンへ改名しました。
さらに、アケトアテン(現在のアマルナ)に新都市を築いて首都をテーベから移したほどで、ここまで大胆な改革を行うに至った背景には、テーベの守護神でもある ”太陽神” アメンを祭るアメン神殿の神官勢力が強くなりすぎたことがあります。
結局は国民の支持を得ることができず、アクエンアテンの死後に首都はテーベに戻されたため、アケトアテンは短期間で放棄された都市となりました。
ネフェルティティ王妃像の頭部 アマルナ
フロア:Ground Floor(1F)
部屋:Gallery 3
名称:Unfinished head of Nefertiti
黒いガイドラインが残る未完成の像の頭部は、アクエンアテンの妻「ネフェルティティ」を描いたもので、1933年のアマルナ発掘中に発見されました。
彼女の肖像は数多く作成されていますが、その中でも1912年にアマルナにある宮廷彫刻家のアトリエ跡で発見された胸像が最も有名なもの。色彩が鮮やかで保存状態が極めて良く、現在はベルリン(ドイツ)の新博物館に保管されています。
ネフェルティティの名前には美しい人が訪れたという意味があり、ラメセス2世の妻「ネフェルタリ」、プトレマイオス朝のファラオ「クレオパトラ」と並ぶ ”古代エジプトの3大美女” のひとりとされています。
また、歴史の記録において彼女はある時点で忽然と姿を消すことから、多くの謎に包まれている人物。
近年では、アクエンアテンの宗教改革に共同統治者として深く関与していた説や、アクエンアテンの死後に約2年間即位した謎のファラオ「スメンクカーラー」が実はネフェルティティ説など、王妃の立場を超えて権力を持ったとされる彼女の諸説が存在します。
キヤのカノプス壺 ルクソール
フロア:Ground Floor(1F)
部屋:Gallery 8
名称:Three Canopic Jars of Kiya
アクエンアテンの妻「キヤ」は、長らくツタンカーメンの母と考えられていた人物。(最新のDNA鑑定により、現在ではその可能性は否定されています。)
カノプス壺とは、ミイラ作りの過程で取り出した内臓を保存するための容器。
魂が宿るとされる心臓はミイラに残されましたが、死後の世界で復活して永遠の命を得るために重要な4つの内臓(肝臓・肺・胃・腸)は、カノプス壺に入れてミイラとともに埋葬されました。
カノプス壺は4つセットで、1つでも欠けると復活はできないとされており、ホル・メスウト(ホルス神の息子たち)と呼ばれる神々によって守られます。
壺の蓋は通常、守護神であるホル・メスウトの姿(人間・ヒヒ・ジャッカル・ハヤブサ)にかたどられますが、王家については古くからの習慣に則って本人の姿とすることが多く、この壺の女性は持ち主であるキヤの姿と考えられています。
また、気になるのは壺が3つしかないことですが、残りの1つはニューヨークのメトロポリタン美術館に保管されているそうです。
新王国時代(2F)
ツタンカーメンの黄金マスク/王座/立像 ルクソール
1922年にイギリスの考古学者「ハワード・カーター」によって発見され、 ”20世紀最大の発見” と称されたツタンカーメンの墓。
ツタンカーメンのミイラとともに副葬品である財宝も未盗掘の状態で発見され、ミイラは現在もルクソールにある王家の谷で眠っていますが、財宝の数々はこの博物館に保管されています。
まさに最大の見どころであるツタンカーメンのギャラリーは、博物館2Fの一番奥に置かれており、他と比べて展示エリアが広範囲に渡ります。
ツタンカーメンの黄金マスク
フロア:Upper Floor(2F)
部屋:Gallery 3
名称:Funerary golden mask of King Tutankhamun
照明が暗く設定された特別室に置かれ、一際輝いて見える黄金マスク。
高純度の金で作られたマスクの重さは約11kg。目にはクォーツと黒曜石、首飾りには群青色のラピスラズリ、ターコイズ(トルコ石)、赤褐色のカーネリアンが使用され、金や宝石の価値にプラスして歴史的な観点も考慮すると、その価値は300兆円にものぼるとされています。
3,000年以上も前に作られたものとは信じ難いほどに見事な仕上がりですが、現在も使用される金の加工技術は当時すでに確立されており、非常に高度な技術を持ち合わせていたそうです。
古代エジプト王朝は金を多用したことでも知られ、太陽信仰において金の輝きは太陽の輝きと結びつけられて神聖視されていたため、ファラオは金の装飾品を身につけることで神聖な存在であると示す目的があったと考えられています。
特別室には他にも、黄金マスクを被ったツタンカーメンのミイラが納められていた黄金の棺や、副葬品である宝飾品なども展示されていますが、撮影禁止なのでひたすら目に焼き付けましょう。
ツタンカーメンの王座
フロア:Upper Floor(2F)
部屋:Gallery 13
名称:Ceremonial Throne of Tutankhamun
妻である「アケンセナーメン」がツタンカーメンの肩に香油を塗り、 ”太陽神” アテンが夫婦に光線を降り注ぐシーンを描いた儀式用の玉座。
新王国時代には ”太陽神” アメン信仰が行われていましたが、ツタンカーメンの父「アクエンアテン」の宗教改革(アマルナ改革)によって始まったのが、アテン信仰。
結局は国民の支持を得られず失敗に終わり、ツタンカーメンが信仰を元に戻したため、アテン神が描かれるこの玉座は、短期間であった宗教改革の間に作成されたものと考えられています。
ちなみに、ツタンカーメンの墓を発見したハワード・カーターはこの玉座を「これまでにエジプトで発見されたものの中で最も美しいもの」と称賛したそう。
ツタンカーメンの立像
フロア:Upper Floor(2F)
部屋:Gallery 13
名称:Guardian Statue of Tutankhamun
ツタンカーメンの墓の玄室(埋葬室)入口に置かれていたカー像。ツタンカーメンを ”死と復活の神” オシリスとして表現したもので、肌は死の象徴である黒に塗られています。
古代エジプトにおいて、人間の体は「カー」「バー」「肉体」で構成されると考えられていました。
カーとは「生命力」のようなもの。肉体と同じ姿をしており、老いや病いによって同じように変化し、カーが肉体を離れる時に死は訪れます。また、カーは墓に供えられる供物を受け取ることで、死後も変わらずにその生命力を維持しました。
バーとは「魂」のようなもの。カーは本人とは別に存在する生命体のようなイメージですが、バーは本人の一部。死後は鳥の姿で肉体(ミイラ)から離れて天空を自由に舞い、定期的に戻ってくるため、墓には偽扉(見せかけの扉)が取り付けられ、そこがバーの出入口とされました。
最終的には、死後の世界(アアルの野)でカーとバーは一体化することで「アク」となります。それはまさに古代エジプト人が望んだとされる、死後の世界で復活して永遠の命を得た姿なのです。
トゥヤのマスク ルクソール
フロア:Upper Floor(2F)
部屋:Gallery 45
名称:Funerary Mask of Tuya
ルクソールにある王家の谷で発見された黄金マスクは、古代エジプトの貴族「トゥヤ」のもの。
ツタンカーメンの黄金マスクは金を加工したものですが、このマスクはカルトナージュと呼ばれるリネンを重ねて石膏で覆った素材に金箔を貼り付けているため、一部の金箔が剥がれ落ちています。
ちなみにトゥヤは、ツタンカーメンの曽祖母にあたる人物。
第18王朝の高官であったとされる「ユヤ」の妻であり、アメンホテプ3世の王妃「ティイ」の母、アクエンアテンの祖母として知られています。
施設情報
2023年10月時点の情報
※頻繁に値上がるので参考程度に
移動方法
Hathor House(宿泊先)
↓ 徒歩(約10分)
エジプト考古学博物館
NOTE
・14:00頃(金曜)に訪問:混雑気味
・メインの展示を一通り見学するならば、少なくとも2時間は必要
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