【ミーソン遺跡】ベトナム中部を中心にかつて栄えたチャンパ王国の ”聖域” として知られる世界遺産_#78

 

ダナンのベストシーズンは?

Best!:2月〜5月 
Good:1月〜8月 

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今回の旅(2023年1月)= オンシーズン!

<ざっくりと言えば...>
雨や曇りの日は肌寒いですが、太陽が出れば気温は上がりTシャツ1枚でOK!
1月下旬にもなると雨が降り続く日も少なくなり、屋外を観光するのにも比較的過ごしやすい気候です。

<1月のダナン>
  平均最高気温:24℃
  平均最低気温:19℃
  降水量:約95mm

<1月の東京>
  平均最高気温:10℃
  平均最低気温:1℃
  降水量:約50mm

ダナン・チャム彫刻博物館

ダナン中心部にあるダナン・チャム彫刻博物館は、チャンパ王国の遺跡から発掘した彫刻や芸術品など、400点以上が展示される博物館。

チャンパ王国の宗教中心地であった世界遺産のミーソン遺跡からの発掘品も展示されているので、遺跡を訪れる前に予習として訪れておきたいスポットです。

中には国宝に登録される展示品もありますが、仰々しいケースなどは設置されておらず、どれも触れられるほどに至近距離から鑑賞することができます。

「発掘された地域別」に分けて展示されており、以下4つが特に見応えのあるルーム。

①トラキュー(Trà Kiệu)
②ミーソン(Mỹ Sơn) ←ミーソン遺跡の発掘品はここ
③ドン ドゥオン(Đồng Dương)
④チャップ マム(Tháp Mẫm)

館内のすべてをゆっくりと見て回っても所要時間は約1時間の規模感で、雨宿りにも適したスポットなので、天気の悪い日にはまずチャンパの歴史に触れてみると良いかもしれません。

トラキュー(Trà Kiệu)ルーム

トラキューはダナンから南へ約40km、かつてチャンパ王国の王都があった地域。

国宝 祭壇/7〜8世紀

チャム族(チャンパ王国を築いた民族)にとって祭壇とは、神と寺院を繋ぎ、天と地を繋ぐ場所であり、主祠堂の中央に置かれていたもの。

正方形の台座の4面には人々の彫刻が精巧に彫られており、これはインド神話の叙事詩「ラーマーヤナ」の抜粋であると考えられています。

また、台座の上にはリンガ(ヨニ)が置かれるのが通常で、この祭壇にもやはり上部にリンガ、中央に2つの丸い板から成るヨニが見られます。

リンガ(ヨニ)

リンガ(ヨニ)には様々なデザインがありますが、この作品はチャムで最も人気のあるタイプとされています。

「リンガ」とは男性器をかたどった像で、リンガは通常「ヨニ」と呼ばれる女性器をかたどった台座の上に置かれ、 ”子孫繁栄の象徴” として古くから崇拝されてきたもの。

次第にシヴァ信仰が発展したことで、リンガはシヴァ神の本質である ”力、生命エネルギーや創造力” を象徴する像(神体)として崇拝され、多くのヒンドゥー教寺院に祀られるようになりました。

MEMO

シヴァとは?
→ヒンドゥー教の最高神である3大神のひとつであり、破壊の神。破壊とは次なる創造を生み出すためのものであるため、”破壊と創造の神” としても知られる。

最高神とは?
→以下3つの神のこと。三神一体(トリムルティ)と呼ばれるヒンドゥー教の教えでは、これらの神は本来は一体であり、3つの姿で現れているものとされる。

① ”創造神” ブラフマー(Brahma)
② ”維持神” ヴィシュヌ(Wisnu)
③ ”破壊神” シヴァ(Siwa)

三神一体とはいえ、ヒンドゥー教には ”ヴィシュヌ派” と ”シヴァ派” の2大宗派が存在し、それぞれヴィシュヌ、シヴァが最高神として崇められています。

リンガ信仰は ”シヴァ派” の特徴ですが、その信仰の発生にはシヴァを世界の創造主とするこんな神話が伝えられています。

ヴィシュヌが ”原初の混沌の海” を漂っていた時、光とともにブラフマーが生まれた。
「どちらが世界の創造者であるか」について2神が争っていると、突如閃光を放って巨大なリンガが現れた。
2神はそのリンガの果てを確かめることにして、ブラフマーは白鳥の姿になって空へ、ヴィシュヌは猪の姿になって水中へとそれぞれの果てを目指したが、リンガは果てしなく続いていたため、やがて諦めて元の場所に戻ってきた。
すると、リンガの中から三叉戟(さんさげき)を手にしたシヴァが現れた。
シヴァは「ヴィシュヌもブラフマーも自分から生まれた者であり、3神は本来同一の存在である」と説き、シヴァこそが「世界の始まりであり中間であり終わりである」ということで決着がついた。

アプサラ

博物館のパンフレット表紙を飾るアプサラは、インド神話に登場する ”姿を自由自在に変えることができる天女” で、地上では水鳥に扮して水辺に住んでいるとか。

ちなみに、チャンパ王国と長年争いが絶えなかったアンコール朝(現在のカンボジア)には、「アプサラダンス」と呼ばれる煌びやかな衣装をまとった女性たちが妖艶に舞う宮廷舞踊が古くから伝わります。

また、アンコール朝の代表傑作であるアンコール遺跡群の至るところでは、デヴァターと呼ばれる女神のレリーフ(彫刻)が見られ、その多くはアプサラダンスを踊る姿を描いています。

ミーソン(Mỹ Sơn)ルーム

ミーソンはダナンから南へ約50km、チャンパ王国の宗教中心地(聖域)であった地域。

国宝 祭壇/7世紀

ミーソン遺跡の「Group E」の ”E1” タワーより持ち込まれたもので、メール山(須弥山)をイメージした祭壇。

インド神話においてメール山は ”世界の中心にそびえる聖なる山” であり、神々の住まい。そして、シヴァ神はその山の頂上に君臨する神とされています。

ちなみに、ミーソン遺跡はシヴァ派の聖域。祭壇の上にはこれまたシヴァの象徴とされるリンガ(ヨニ)が置かれていました。

ブラフマーの誕生/7〜8世紀

祭壇と同じく、ミーソン遺跡の ”E1” タワーから持ち込まれたアーチ部分の装飾彫刻で、インド神話でお馴染みの宇宙創造の伝説である ”ブラフマーの誕生” が表現されています。

ヒンドゥー教 ”ヴィシュヌ派” によると、「ブラフマーはヴィシュヌのへそから生えた蓮の花から生まれた(シヴァはブラフマーの額から生まれた)」とされており、この彫刻にもその様子が描かれています。

ミーソン遺跡は ”シヴァ派” の聖域であり、建造物のほとんどはシヴァを祀るために建てられていますが、このように一部 ”ヴィシュヌ派” のものも存在します。

ドン ドゥオン(Đồng Dương)ルーム

ドン ドゥオンはダナンから南へ約60km、チャンパ王国の王都があり、仏教の中心地でもあった地域。かつては、インドラプラ(Indrapura)の地名で知られた場所です。

ヒンドゥー教に代わり、密教系の仏教を導入したチャンパの国王「インドラヴァルマン2世」が、9世紀に観音菩薩を祀るための寺院をこの地に建設し、王都としました。

国宝
多羅菩薩/9〜10世紀

1978年に地元の人が偶然発見したという多羅菩薩(ターラー)のブロンズ像。この作品は、東南アジアの重要なブロンズ像のひとつとされています。

多羅菩薩は密教で信仰されている女性の仏で、ターラー(Tārā)とはサンスクリット語で「瞳」を意味する言葉。

人々の苦しみの声を聴いて救う観音菩薩が、救い尽くせないことを嘆いて流した ”悲しみの涙” から生まれたとされており、多羅菩薩は救済に漏れた人々を救うことで知られます。

チャップ マム(Tháp Mẫm)ルーム

チャップ マムはダナンから南へ約300km、Binh Dinh省のAn Nhon地区にある廃墟となった遺跡の名前。

この土地からは、神鳥(ガルーダ)、怪魚(マカラ)、象の頭とライオンの体を持つ神獣(ガジャシンハ)などといった ”インド神話上の伝説の動物” をテーマにした彫刻が多く発掘されています。

これらの発掘品は造りが複雑で密度が高い(重い)ことが特徴で、総重量は約58トンにも上ったそう。

ドラゴン/12世紀

チャム彫刻のドラゴンは異なる動物の組み合わせであることがよくあり、この彫刻も頭はマカラ、胴体と足はライオン、尻尾はワニのような組み合わせ。

マカラ(Makara)は神話に登場する怪魚で、水を操る力を持ち、ワニとライオンの合成獣として表現されます。

ガルーダ

ガルーダ(Garuda)は、太陽のように輝く光を発する神鳥。

ヒンドゥー教では神々は動物や架空の生き物に乗るとされており、その乗り物はヴァーハナと呼ばれます。3大神のひとつであるヴィシュヌ神のヴァーハナは、ガルーダとして知られます。

ちなみに、インドネシアの航空会社「ガルーダ・インドネシア」もこのガルーダが由来。

ガジャシンハ

ガジャシンハ(Gajasimha)は、象(ガジャ)の頭とライオン(シンハ)の体を持つ神獣。神話では、象の頭は ”神の知恵と力” を象徴し、ライオンの体は ”王の君主制” を表していたそう。

神話上では重要な役割を持っていたわけではないのですが、現在のカンボジアの国章にも描かれており、クメール文化圏においては重要な存在となっています。

施設情報

WEBサイト/ダナン・チャム彫刻博物館(ベトナム語)

時間:↑クリック>Giới thiệu>Thông tin cần biết>Giờ mở cửa
料金:↑クリック>Giới thiệu>Thông tin cần biết>Giá vé

【世界遺産】ミーソン遺跡

世界遺産情報

正式名称:ミーソン聖域
登録年/種別:1999年/文化遺産

ホイアン発のツアーに参加

世界遺産のミーソン遺跡は、ダナン・ホイアンのいずれからも車で約1時間の距離にあります。

タクシーで訪れることもできますが、それなりの距離があるのでツアーへの参加が一般的。ダナンにもホイアンにも旅行代理店は複数あり、人気観光スポットとしてツアーも毎日催行しているので参加は簡単です。

今回は、ホイアン滞在中にホテルのレセプションで勧められたツアー「MY SON SUNSET TOUR WITH BOAT TRIP」に参加しました。

Tour Schedule

ホテルにてピックアップ(PM1:00)
   ↓
 ミーソン遺跡(Mỹ Sơn) 到着(PM2:00)
    ↓
  博物館(ギャラリー)
    ↓
   カート乗り場(入口側)
    ↓  カート/約5分
   カート乗り場(遺跡側)
    ↓  徒歩/約10分
  遺跡(B・C・Dグループ)
    ↓
  チャムダンス鑑賞(PM3:30)
    ↓  徒歩
   カート乗り場(遺跡側)
    ↓  カート
   カート乗り場(入口側)
    ↓
 ミーソン遺跡 出発(PM5:00)
   ↓
 トゥボン川(船着場)
   ↓  ボート
 トゥボン川(船着場)
   ↓
ホテルにてドロップオフ(PM6:00)


WEBサイト/Simply Vietnam Travel(英語)

ツアー詳細:↑クリック>TOURS>Small Group Tours

ざっくり知識

ミーソン遺跡は、かつてベトナム中部〜南部に存在した「チャンパ王国」で信仰されていたヒンドゥー教 ”シヴァ派” の聖域。

チャンパ王国の遺跡の中で最も規模が大きく、最重要視された宗教中心地と考えられています。

MEMO

チャンパ王国とは?
→チャム族によって築かれ、2世紀後半から長きに渡ってベトナム中部〜南部の沿岸を中心に繁栄した王国。
ヒンドゥー教などインド由来の文化を取り入れ、またその土地柄から海上貿易で繁栄したものの、アンコール朝(現在のカンボジア)との争いが絶えず、1832年にグエン王朝(ベトナム最後の王朝)に併合された。

チャム族とは?
→ベトナムの南方(インドネシア)から北上し、中部から南部にかけて独自の文化を有した民族。

ミーソン(Mỹ Sơn)とは、ベトナム語で ”美しい山” を意味する言葉。

その名の通り、遺跡は小さな山々に囲まれた自然豊かな場所に広がります。

また、中でも一際目立つ独特な形状した山は、”聖なる山(マハーバルヴァタ)” として知られており、かつてミーソンを崇めたチャンパの人々はこの山の方角に向かって祈りを捧げたそう。

山頂に薄い雲がかかり、そこに微かな陽の光が差せば、その光景は実に神秘的!聖なる山と崇める理由もどことなくわかる気がしてしまいます。

聖なる山(マハーバルヴァタ)

4世紀頃に、シヴァ神を祀るための ”木造の祠堂” を建てたことがミーソン遺跡の始まり。

その後火災により消失してしまったことから、7世紀にはレンガ造りの塔に建て替えられ、13世紀に至るまで王が変わるたびに塔の建設が行われました。

そのため、現在の遺跡で見ることができるのは7~13世紀に建てられたレンガ造りの建造物です。

建造物はAから順にグループで分けられ、さらには数字が振られています。

ただ、1969年頃にベトナム戦争の爆撃でその多くが破壊されてしまったため、保存状態良く残っているのは「Group B・C・D」のみ。実際にツアーで訪れたのもこのグループのみでした。

ちなみに、グループはAから順を追うごとに発掘年度が新しくなり、未だ発掘中のグループも存在します。

Group B・C・D(メイン)

入口からカートに乗って数分、そこからまた約10分歩いた先に広がるのは、メインスポットである「Group B・C・D」の遺跡。

規模が大きいかつ保存状態も良いので、見どころが多いエリアです。

苔や草がレンガを侵食する光景からは時の経過を感じられ、まるでジブリ映画「天空の城ラピュタ」の世界さながらの雰囲気が漂います。

Group C

C1

入口から最も近い場所にあり、まず目に入るのは「Group C」の主祠堂である ”C1” タワー。

儀式を行う空間でもあった塔の内部には、シヴァ神の本質である ”力、生命エネルギーや創造力” を象徴する像である「リンガ(ヨニ)」が設置されていましたが、現在は「ヨニ」のみが残されています。

ちなみに遺跡には多くの塔の群(グループ)がありますが、基本的にはメインの塔(主祠堂)が中心にあり、周囲に小さな塔が集まる構造で、すべての塔は ”太陽の光を受けるため” に東を向いています。

C1

Group B

B5

チャム族が築いた建造物の特徴は、セメントや漆喰などの接着剤を使った形跡がないこと。レンガをずらして積み上げる独特な建築技法を用いており、屋根を支える支柱もありません。

風化や破損が目立ちますが、レンガを積んだ後に彫られたとされるインド神話に登場する人物や物語の「レリーフ(浮き彫り)」もミーソン遺跡の見どころ。

そんなレリーフをよく確認できるのが「Group B」の ”B5” タワー。

元々は儀式で使用する用具や宝物を保管するための塔で、外壁に施された女神像や、入口上部に施された ”2頭の象” の彫刻、それから美しい曲線を描く屋根も保存状態良く残されています。

B5
B5
B5

Group D

シヴァ神像(D1前)

「ヨニ」の上に座るのは ”頭部のない” シヴァ神像。

ミーソン遺跡はベトナム戦争によるダメージだけでなく、このような盗掘による被害も受けています。

子孫繁栄の象徴として、ヨニの上には「リンガ」が置かれるのが通常ですが、”力、生命エネルギーや創造力” を本質に持つシヴァはリンガとして崇拝されていたため、このような作品が見られるのでしょうか。

ちなみに、シヴァ神像の背後にある「Group D」の ”D1” はタワーではなく横に長い建物になっており、建物内には発掘品やベトナム戦争の不発弾が展示されています。

Group A

保存状態の良い「Group B・C・D」をメインに訪れましたが、実はミーソン遺跡の建造物で ”チャンパ建築の最高傑作” と称されていたのは、「Group A」の主祠堂である ”A1” タワー。

ベトナム戦争時に破壊されてしまったため実物を見ることは叶いませんが、「ダナン・チャム彫刻博物館」には当時の姿を再現した模型が展示されています。

A1(イメージ) @ダナン・チャム彫刻博物館

もしも戦争による爆撃がなく当時の姿を残していたら、ミーソン遺跡は巨大な遺跡群としてカンボジアの「アンコールワット(Angkor Wat)」に劣らず有名になっていたのではないかと考えられています。

チャンパ王国の豊かな歴史を肌で感じられるミーソン遺跡は、人間の浅はかさを考えさせられる場所でもありました。

帰り道はトゥボン川でボート乗船

ミーソン遺跡からホイアンへの帰り道は、途中からボートに乗り換え。

雨季の終わりの1月中旬で日中も比較的涼しく、日が陰ると次第に寒くなり、窓のない開放的なボートへ吹き込む風に震えました。

もう少し暖かい時期なら悪くないかもしれませんが、特別な景観があるわけではなく川をボートで渡るだけなので、正直なところ、行きと同じくバス移動でも良かったかも?と思ったのが本音です。

施設情報

WEBサイト/ミーソン遺跡(英語)

時間:↑クリック>NEWS-EVENTS>VISITOR INFORMATION>CROSING TIME AND PERFORMANCE SCHEDULE
料金:↑クリック>NEWS-EVENTS>VISITOR INFORMATION>Ticket prices

  360°ストリートビュー:ミーソン遺跡

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   2023/04/28  

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